畜産に生きる人

食べる瞬間まで関わり、美味しさを探究し続ける“和牛クリエイター”

  • #和牛

この記事の登場人物

髙梨 裕市
髙梨牧場
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同じ農業でも、青果と違って畜産の場合、生産者は自分で育てた肉をそのまま口にすることはできません。家畜を出荷するまでが生産者の役割。その後食肉市場で屠畜され、枝肉の状態で値がつけられて、精肉店や飲食店に流通していきます。

「牧場の牛にいきなり噛みつくわけにはいきませんからね」と笑うのは、髙梨牧場の髙梨 裕市さん。

彼は自社の肉を市場から買い戻すことで、自らその味を確かめるとともに、直接取引先に販売して飲食店や消費者から生の声を集め、美味しさを追求してきました。独自に確立した肥育方法は同業者からも注目されています。

// プロフィール

髙梨 裕市 株式会社 髙梨牧場

千葉県房総半島の鴨川でかずさ和牛を300頭肥育。これまでに“和牛のオリンピック”と言われる全国和牛能力共進会や農林水産大臣賞8度受賞など、数々の受賞歴を持つ。 六次化による牛肉販売も行い“食べる瞬間まで携わる和牛肥育家”として美味しさを追求。その和牛は五つ星ホテルのシェフからも指名買いされている。

「ここがゴールではなかった」品評会の入賞常連になって覆された価値観

髙梨さんは東京の大学院を出た後、28歳で髙梨牧場の3代目として就農しました。同時期に、これまでのホルスタイン主体の肉用牛の肥育経営から和牛肥育へと方向転換。肥育方法をゼロから独学で学んでいきました。

「地元にはすでに経験を積んだ同世代の生産者がいる。その人たちと勝負するためには、経験や勘だけでは追いつけないという漠然とした思いがありました。しかし、何からやっていいかもわからず、農場に来る業者の営業マンにいろいろ質問して、紹介してもらった専門書を読み込み、著者の方にお会いする機会をいただいたり、名人会さんを通して学んだり、専門家のデータや研究理論に基づいて飼育方法をアップデートしていきました」

髙梨さんは共励会・共進会でチャンピオンになることを目標に飼育環境や飼料の配合を調整していった結果、就農から5年で努力が実を結び、初めて名人会肉用牛枝肉研究会で入賞を果たします。それからというもの、いつしかさまざまな品評会で入賞の常連に。

自身の枝肉をチェックする髙梨さん

枝肉の市場価値も上がり「これでたくさんの人に認められる生産者になれる」と手応えを感じはじめた髙梨さん。生産頭数を増やしながら規模拡大を進めようとしていましたが、ある出来事がきっかけで、これまでの方向性に疑念を抱き始めます。

「とある品評会で、チャンピオンになった髙梨牧場の肉を食べる機会がありました。口に運んだとき、イメージしていた味とは違い『美味しくない』と感じてしまったんです。大切に育てた牛は“誰からも喜ばれる命である”と信じていたのに、とてもショックでした」

ー 格付けの評価と美味しさは必ずしもイコールではない ー

そう実感した髙梨さんは、これまでを振り返り、そもそも自分が肥育した和牛の味を知る機会がなかったことに問題意識を感じるようになりました。

「格付けでは枝肉のサシの入り方と歩留をもとに、色や締まりなど、ほぼ目で見てわかる情報だけで評価が決まります。それも先人が築きあげた大切な指標ですが、和牛は見るものではなく食すもの。格付け評価を大切にしながらも、その先にある美味しさをゴールにすることで考え方が立体的になり、そこから新たなスタートを切りました」

髙梨さんの薄切り肩ロース肉(チクタグより)

六次化の狙いは経営拡大ではなく、美味しさの追求

この悔しい気付きがターニングポイントになり、髙梨さんは飽くなき好奇心と探究心で、市場評価の先にある“美味しさ”を追い求めるように。

しかし、味の感じ方は人それぞれ違うものです。生産技術のように体系化されていない“美味しさ”という目には見えない答えを探るため、2017年に食品販売の認可を取得。食肉市場でセリにかけられた髙梨牧場の和牛を買い戻し、飲食店や消費者に向けて直接販売するようになりました。

「私にとって六次化の目的は、経営の拡大ではなく、あくまで美味しさの探究でした。直接販売をすることで、自分でも髙梨牧場の和牛を食味できるようになりました。同時に、継続して取引のある飲食店や常連のお客様から『今回の肉は前回よりもこうだった』と、比較となるフィードバックを直接いただき、それを定点観測してアーカイブを辿っていくと、自分が目指すべき美味しさの方向性が少しずつ見えてきたんです」

髙梨牧場は現状に満足せず変化し続ける“研究室”

美味しさの探究を目的にしてから、髙梨さんは当初目指していた規模拡大の夢を手放しました。

逆に、適切に管理できるよう頭数を制限。現在は300頭を肥育しながら、まるで研究所のように、常に数パターンの異なる肥育方法を試しています。

「全300頭のなかで年間に出荷する150頭をいくつかのグループに分け、飼料の与え方や期間などを微妙に変えながら味の変化を検証しています。小さな揺らぎがある状態を常に保っているからこそ、新たな発見があり、お客様の反応に合わせて変えることもできれば味を戻すこともできる。手法や考え方が凝り固まった“直線的な状態”だと、いざ変えようと思っても角度を出せません。もちろん、味のブレが出ない範囲で微調整しています」

さらに髙梨さんは、2020年からは精肉だけでなく内臓も食肉市場から買い戻し、販売を実現しました。

髙梨牧場の六次化は様々な方の協力があって実現した

個体識別番号がつかない内臓を一農家が買い戻すという、特に東京食肉市場では非常に難しいとされることに挑戦したその思いを、髙梨さんはこう話します。

「いい肉はいい内臓からつくられる…肉の味を探求していくとそんな仮説に至ると同時に、一頭の命を最大化したいと思うようになりました。

しかし、そもそも内臓には枝肉のようなセリがなく、ひとまとめにして内蔵業者さんに買い取られていきます。どうしたら買い戻しを実現できるか、いろいろな方に相談しましたが、最初は全く取り合ってもらえませんでしたね…。

それでも諦めずに熱意をもって糸口を探した結果、徐々に協力してくださる関係者の方が現れ、動き出してから足掛け3年で、鮮度の良い状態で内臓を買い戻す独自のルートを確立できました。

はじめて内臓をレストランに卸したとき、シェフの方からは『こんなに臭みのないホルモンは初めて』と、驚きとともに伝えていただき、自分の和牛づくりは間違っていなかったと確信しました」

セリを終えて安堵する髙梨さん

美味しさの追求の先に見えたのは動物福祉や環境との調和だった

髙梨牧場の和牛の美味しさは舌の肥えた飲食店関係者を中心に広まり、六次化から5年後の2022年、5つ星ホテルから指名買いされるまでになりました。

餌と飼育方法を探求し本当に美味しい和牛を目指す髙梨さん

格付け評価の先にある美味しさを追求し、ひとつの確かな結果を出した髙梨さん。そこではどんな景色が見えたのでしょうか。

「美味しい和牛づくりを突き詰めていくと、その答えは『牛の健康レベルを上げる』という結論に集約されます。そしてそれは、動物福祉や環境保全の考えと結びついていることに気が付きました。あるとき、農水省が出している『アニマルウェルフェアに関する飼養管理指針』を読んだところ、多くの項目が肉の美味しさを向上させる目的ですでに実施していたことだったんです。

また、環境保全の観点では牛のげっぷに含まれるメタンガスの削減が求められますが、体内の環境を良好にしていくこともまさに美味しい和牛づくりの基本。連動性を感じてからは、動物福祉や環境保全の考え方をもっと勉強したいと思うようになりました」

作っては壊すブロック遊びのように、和牛づくりに終わりはない

一般的な常識に捉われることなく、独自の哲学をもって美味しい和牛をクリエイトし続ける髙梨さん。

その好奇心やバイタリティはどこから生まれるのでしょうか。

「まだ物心がつくかどうかの頃、ブロック遊びに夢中になっていて、ひとつの作品を作って終わりではなく、作っては壊して、また作っては壊すことを延々と繰り返していたと、当時のことを母に聞かされたことがあります。もともと何かを完成させて満足するのではなく、積み上げていくプロセスを楽しみながら、その過程で新しいアイデアが浮かび、それを形にしたいという思考回路なのかもしれません。和牛づくりもブロック遊びに似ている気がします。決められた正解はなく、改善を丁寧に積み重ねることでしか肉質は変えられません。一つひとつの取り組みは些細なことでも、それが数十・数百と集まったとき、ガラッと変わるタイミングが訪れます」

最後に、髙梨さんはこれからの和牛づくりのビジョンについてこう語ります。

「和牛ブランドは世界的に注目され、食の多様性や動物福祉や環境保全といった観点も踏まえた和牛づくりが今後ますます求められていくと思います。生産者は、これまでの格付評価という既成概念だけにとらわれず、時代のニーズに合わせて変化していかなければ生き残れなくなるかもしれません。

日本の畜産は世界最高水準!これからも地域の垣根を越えて全国の同じ想いを共有する農家さんはもちろん、仲卸さん、料理人の皆さんと一体となり、共に美味しい和牛を消費者さまに届けられるよう努力していきたいです。また、先人に感謝し、歴史や伝統を大切にしながらも、既成概念に捉われることなく、柔軟で多様な和牛づくりへの挑戦を続け、新たな価値提供のかたちを考え、実践していきたいです」

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