お肉の解体現場も教育に。焼肉屋併設の食育保育園「さとのやま保育園」
No.340
くらす
森林を活かして牛を育てることで、地域に仕事を作り、田舎での暮らしをつくる。
こんな酪農のあり方を実践している注目の牧場が、栃木県那須町にあります。
「森林ノ牧場」の山川将弘代表に、大きな危機を乗り越えて今に至った経緯や、思い描く田舎暮らしについて伺いました。
森林ノ牧場は、以前の運営会社が撤退したことを期に、新たなテーマを掲げて山川さんが働いていたメンバーとともに始めた牧場です。
ところが、さあ、やるぞ!と動き出した矢先の2011年3月、東日本大震災と原発事故に見舞われます。
「牛が食べていた草から国の基準を超える放射性物質が検出され、放牧できなくなったんです。牛を飼育することができず、絞ったお乳も全部捨てるしかない。要は売上ゼロ。人を雇っておけないし、始めたばかりなのに廃業も考えました。
そんなときに近所の酪農家さんが牛を全頭預かってくれることになって。それなら、放牧はできなくても牧場を存続させようと、乳製品づくりを続けることにしました。でも「森林ノ牛乳」の製造は断念しました。森林に牛を放牧するという、この牧場のスタイルを象徴するものだったので、牛乳だけはこの背景無しに販売することは出来ないと思ったんです。」
「放牧ができるまで10年20年かかると覚悟していました。でも、こんな状態なのに思ったよりお客さんが来てくれた。そうなると、牛を早く飼いたいという欲が出てきて。それで牧場を除染しようとしたら、周りの牧場は除染しているのにウチはできないんですよ。ここは木があるために森林でもあると、国が示す農地除染の対象にならなかったんです。」
友人やお客さんの協力を得て除染を試みるものの、自力で牧場全体を除染するには莫大な費用と時間がかかります。それでも放牧再開の道を探し続けていたという山川さんは、大胆な考えに行き着きます。
「木があって除染できないなら、木を切って農地にして除染すればいい。そして、また木を植えればいい。それが森林になったら、そのほうがすごい。木を切ることに抵抗はありましたが、こう考えたら何か気持ちがふっきれたんですね。」
牧場に牛が戻り、放牧を再開したのは2014年春。これで牛乳づくりも再開できるはずでした。しかし、またしても試練が。ずっと使っていなかった製造機材は改修が必要だったのです。
「搾乳も始めていたので焦りました。でもタイミングってあるんですね。どうしようってときに、あるクラウドファンディングの会社から募集メールが来たんです。
『よし、これだ!』となり、それからは早かったですね。サイトにアップして2日で目標額の100万円を達成できたんです」
大きな危機を乗り越えて2年、森林ノ牧場では牛たちが草を食む風景が当たり前になり、看板商品の森林ノ牛乳、人気の搾るヨーグルトやソフトクリームなどの製造も順調に行われています。
山川さんもスタッフの皆さんも今は元気いっぱい。
「毎日楽しいんです。地元の方やお客さん、多くの方に支えていただいたおかげで、スタッフも僕もここでしたかったことがやれていると感じてますから。」
では、森林ノ牧場が目指す「田舎での暮らしをつくる」とはどういうことなのか、もっと知りたいと訪ねると、奥深い答えが返ってきました。
「地方は、どうしても仕事が少ないですよね。働きたいと思っても働く場がない。でも自然はある。日本の7割は森林なんです。大学で酪農を学んでいるときに、それを活かさないのはもったいない、牛を放牧するという形で森を活かせるんじゃないかと思いついたんです。
そんな酪農が事業として成り立てば、その地域に仕事ができる。その仕事で生活の基盤になる収入を得られれば、田舎で暮らしていける。「森林ノ牧場」という仕事を通して、こうした仕組みを作っていきたいと考えています。」
山川さんの将来ビジョンは、これを1セットにした森林ノ牧場を日本各地に作ること。実現すれば、地方の過疎化にも光が射すのでは? 若者の選択肢も広がるのでは?と、期待が膨らみました。今後も山川さんの目指す「田舎での暮らしを作る」活動から目が離せません。