島根県の離島、知夫里島の繁殖農家として働く18歳・徳若未来さんの牛にかける思いとは?
No.316
くらす
北海道襟裳岬。一年中強い風が舞うこの辺境の地に、短角牛という稀少和牛を放牧している畜産農家がいるとか。しかもある時期はコンブ漁師に変貌すると。かつて「なにもない春」と歌われた岬に、どんな物語が待っているのでしょう。晩秋の風が吹く10月、取材チームは襟裳岬へと車を走らせました
トラックの運転席から人懐っこい笑顔が振り返る。高橋ファームの高橋祐之さん。襟裳岬を囲むように続く広大な牧場で短角牛を放牧しています。
荷台に乗せていただき牧場の道なき道をクルマで進むこと数分。強風で傾いだ防風林を抜けると急に視界が開けました。牧草が茂る丘陵。その向こうには、ぼう洋たる太平洋が横たわっています。このダイナミックな襟裳の景観の中に身を寄せ合う黒い影たちが。これが短角牛の群れ。
名の通りの短い角、頑丈な赤茶の体、あどけない瞳。しかし何より取材陣の関心を集めたのは、群れの半数近くが「母牛と子牛のつがい」ということ。
甘えながら乳房を探す子牛、子に頬ずりを繰り返す母牛。体温を確かめるように愛おしそうに寄り添う影と影。そこかしこに繰り広げられる母子の情景があまりに微笑ましく、と同時に畜産動物の宿命が脳裏をかすめ、不覚にも涙がこぼれそうに。放牧牛は何度も目にしましたが、こんな思いになったのは初めてでした。
「これが当たり前の放牧なんですよ」横で高橋さんがさらりと言います。
高橋さんは当牧場の二代目、さらにコンブ漁師としては三代目となります。
「父の時代は襟裳の山々が砂漠化したこともあり、コンブ漁も受難続き。なんとか出稼ぎだけでもなくしたいと、この辺りで兼業としての畜産が始まったんです」
多くの漁師が目をつけたのは短角牛。厳しい気候風土や粗食に耐え、乳量も豊かでお産も子育ても上手という、“襟裳での放牧”という条件に最適な和牛でした。
絶頂時は飼育頭数が襟裳一帯で千頭を超えた短角牛でしたが、そんな時代も長くは続きません。平成3年からの牛肉輸入自由化の煽りなどを受け、一帯の畜産は徐々に下火に。
「早々と見切りをつける人、漁師に戻る人もいたけれど、黒毛和牛に転換する人も多かったですね。ちょうど霜降り肉がもてはやされる時代になりつつあったから」
すでに牧場代表となっていた高橋さんもその渦中に。一人また一人と減っていく短角牛の畜産家。親切心から黒毛和牛の飼育を薦めてくれる知人もいましたが、高橋さんはその気になれなかったそう。
「その当時は苦労していた先代への思いもあったし、短角の飼育への心残りもありました。あとは意地なのかなぁ…」
正直、揺れていたのでしょう。漁師も農家も常に瀬戸際の仕事。きれいごとを並べるだけでは生きてはいけません。この先ますます売れなくなっていく短角牛たちを前に、高橋さんは不安を抱えていたはずです。
そんな高橋さんの背中を押すきっかけとなったのが、何気なく参加したヨーロッパの農業視察でした。
スペインの片田舎で数頭の牛と兎を飼いながら、小さなカフェを開いているお年寄りに出会ったとき、それまでの迷いが一気に消し飛んだといいます。
「毎日野菜を収穫し毛を刈り乳を搾る。客が来れば茶を飲み話をする。背伸びも無理もない、自然の循環の中に溶け込むような生き方でした。その光景を目の当たりにした瞬間、自分が探していたのはこれだと悟りました」
高橋さんは我が身に照らしてみました。優先したいのは利益でも評価でも意地でもない。自然体の自分がやってみたい「畜産」や「生き方」を貫くこと、それが一番大切だと気づいたのです。
「そこからもう迷うことはなかったですね」高橋さんは笑います。
*襟裳岬で短角牛を飼う心やさしき異端児の話。<後編>へ。