全国肉用牛枝肉共励会で史上初の名誉賞2連覇!仙台牛ブランドのために奔走するみんなの兄貴・川村大樹
石巻市を中心に、仙台牛を育てる川村ファームの3代目、川村大樹さん。
「全国肉用牛枝肉共励会」で最高賞である名誉賞を2年連続で受賞し、史上初の2連覇を果たしたことで仙台牛の名前を全国に轟かせ、その後も数々の輝かしい賞を手にしてきました。美しいサシに、口に入れた瞬間に口いっぱいに広がる柔らかな肉の甘み、それでいてすっと溶ける良質な脂は、同業者をも唸らせるほど。
そんな大樹さんは、仙台牛が抱える課題とこの先の未来をどう見ているのでしょうか。
// プロフィール

川村 大樹 川村ファーム
全国肉用牛枝肉共励会で史上初の名誉賞2連覇を果たした仙台牛生産者・川村大樹さん。宮城県石巻市で川村ファームを継ぎ、仙台牛の品質と認知向上に奔走。若手生産者団体「仙台牛レボリューションズ」の中心人物として業界を牽引している。
もくじ
最高品質の仙台牛に立ちはだかるブランド認知度の壁
取材日に行われた共励会で優秀賞を受賞した川村ファームの枝肉
仙台牛は、数多ある全国のブランド牛の中でも唯一、肉質等級が最高等級の5等級のみに限定され、A5ランク・B5ランクのものだけが認定される、非常に厳しい基準値を超えた牛肉です。
品質や量が安定していることから業界では非常に評価の高い仙台牛ですが、一般の消費者が贈答品に和牛を選ぶ際には、全国的にも名前の通った、認知度の高いブランドが選ばれるように感じます。
「まさにそこなんです。食べてさえもらえれば美味しいことはわかってもらえる。ですが、仙台牛はまだ一般の方々に知られていない現実があります。地元の方でも知らない方が多いくらい。だからまずは数あるブランド牛の中から選んでもらうことが今の課題です。
僕は仙台牛を日本の皆さんに食べて美味しいと思ってもらえて、選んでもらえる肉にしたいと思っています」と大樹さん。
生き残りの第一歩は、県内ブランドの一本化から
仙台牛が成長していくための道のりとして、2014年に県内のブランドを仙台牛に一本化させたことが非常に大きかったといいます。
「どこの都道府県でもそうだと思いますが、宮城県もかつては仙台牛以外に、さまざまな地域ブランド、プライベートブランドが乱立していました。僕らはこれを仙台牛のみに一本化しました」
それぞれのブランドにプライドもある中で、反対も起きたのでは?
「もちろん自分たちが作り上げてきたブランドを他と一緒にされたくないというプライドもあったと思いますが、話がまとまるのは比較的スムーズだったんじゃないかな。それは皆が同じ危機感を抱いていたから。高齢化で生産者が減り、出荷頭数も減ってきている中で、銘柄の維持が難しくなっていました。それでは九州などの有力産地には到底太刀打ちできないですからね。
どこの地域も、あと何年か経てばさらに生産者も減り、小さなブランドはこれから大きなブランドに飲み込まれていくと思います」
生き残るための選択肢として、ブランドの一本化という早めの決断をした仙台牛。その結果、現在は宮城から東京食肉市場に、毎日トラック1車が上場されているそうです。安定した供給ができることも、飲食店などから仙台牛を選んでもらえる大きな理由となっているのです。
お互いにライバル。だけど横つながりのチームとして向上していく
ブランド一本化が行われた翌年の2015年、JA全農みやぎの事業のひとつとして、仙台牛の価値を未来につなぐことを目的にした、50歳以下の若手生産者による「仙台牛レボリューションズ」(仙レボ)が発足。後継者が中心となり、県内や首都圏で仙台牛のPR活動を積極的に行い始めました。大樹さんはその中の中心人物のひとり。現在は100名以上の生産者が所属しています。
「それまで、各農家の横つながりはほとんどなかったんです。市場などで顔は合わせるけど、それ以上深い付き合いはない。今でも他県ではおそらくそれが普通なんじゃないかな。でもこうしてつながることで、いろんな情報交換ができるようになりました。
今は面白いメンバーもたくさんいるので、PR活動はできるだけ若手に前に出てもらうようにしています。若手が輪に入りやすい環境を作ることも心がけていますね」
この日は、翌朝予定されている後継者たちの共進会の前夜祭が仙台市内で行われていました。生産者のみならず、JAや食肉市場の職員も、肉屋も、立場・年齢関係なく声を掛け合い、笑い合う…誰ひとり置いていかない活気あふれる空気の中で、全員が仙台牛のプライドを背負い、ともに戦う同志なのだという印象を受けました。
この団結力、他県から羨ましがられそうですが。
「羨ましがられますよ! みんな孤独に戦ってますからね。仲の良さの秘訣ですか? 僕ら、飲み会の数が違いますから!(笑)」
一枚岩となった“チーム仙台牛”の快進撃はまだ続く
大樹さんの視点は、県内だけに留まってはいません。東北地域として和牛を盛り上げる取り組みもスタートしています。
「子牛の買い付けで他県に行った時に声をかけてもらったり、仙レボのインスタグラムでつながったり、結構他県の農家さんとも出会いがあって。
これも買い付けに行った際の飲み会で盛り上がって生まれた話なのですが、僕たちも生き残っていくために東北の和牛として盛り上げようということで、去年、宮城と、福島、岩手の3県の後継者たちが合同の共進会(第1回新世代合同牛枝肉勉強会)を東京食肉市場でやったんです。今年3月には第2回を行って、秋田も参入して、4県で48頭を上場しました。
共励会を盛り上げるためにたくさんの副賞が用意されていた
業界内ではかなり話題になって、SNSなどで見て、東京市場に問い合わせも結構入っていたそうです。だから来年度はメディアも呼んで、できれば青森・山形も一緒に東北6県でちょっと大きめにやりたいなと思っています」
前回の取材から10年近い歳月が経ち、円熟味が増した川村さん。
実はこれまで県をまたいだ共進会の実例はないのだとか。実例のないことを、そんな簡単に実現できるものなのでしょうか?
「難しかったですよ。実現までには1年かかりました。まずは全農みやぎに話をして、県をまたぐとどうしても調整が大変なのは僕もわかっていたのですが、「がんばれ! やるぞ!」って言って(笑)。県によって買参も違うので、共進会の前夜祭には誰を呼ぶかという問題も出てくるし、県によって予算のかけ方も違いますしね」
まずは“食べてもらう”選択肢に入ること。兄貴が見据える、次なる夢は?
仙台レボリューションズは今年で結成10周年を迎えます。大樹さんは28歳の就農から20年弱。今、どんな未来を見ているのでしょうか。
「僕の夢は、Jリーグのベガルタ仙台のユニフォームに「仙台牛」の文字を入れることです。これも動いてはいるんですけど、なかなか難しいです。予算が落ちない!
でも個人的には小さい頃からプロレスが趣味で、好きすぎて、自腹で勝利者賞を出したりもしています(笑)。これも全農みやぎに打診したんですけど、叶わず、自腹です!」
農場内では、日本一の仙台牛を育てる傍ら、経産牛の肥育も行う。あくまで分業で子牛は買って来たほうがいいとしながらも、理想の子牛を作るために近くの繁殖農家に頼んで希望の種をつけてもらったりもする。市場では落札者を確認し、卸し先を聞いて味を確かめに行く。もちろん輸出も行っている。選手のユニフォームにその名を光らせる夢も諦めない。若手の前では率先してバカをやる。あらゆる手を尽くしながら、美味しさの向上、仙台牛が生き残る道を模索し続ける姿勢に、この人についていきたいと思わせる人としての魅力が溢れていました。
「仙台牛の名前はある程度広がってきているとは思うので、あとは食べてもらうきっかけだと思っています。何かアイデアがあればいつでも送ってください。外部からの提案は大歓迎です」
最後に川村ファームのお肉が味わえる仙台市内の飲食店をご紹介します。
// この人の職場
