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デーリィ・ジャパン編集長が注目する、気鋭の若手酪農家・石田陽一さんの目線とは?【前編】

  • #六次化

この記事の登場人物

石田 陽一
石田牧場

この記事の登場人物

前田 朋宏
酪農専門誌「デーリィ・ジャパン」
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酪農専門誌「デーリィ・ジャパン」の編集長・前田朋宏さんと神奈川県伊勢原市で石田牧場を営みながらジェラート屋「めぐり」を経営、いま各界から注目される若手酪農家・石田陽一さんが対談!

【前編】では、「つながり」をテーマに、石田さんの6次産業化を支えた地元農家とつながり、そして全国の酪農家とつながる「理由」について、前田編集長が迫ります。

石田陽一(いしだよういち)
‘84年生まれ。神奈川県伊勢原市で乳牛約50頭を飼養する酪農家・石田牧場の3代目。神奈川県立中央農業高校、北海道の酪農学園大学を卒業後、1年間ニュージーランドの牧場で学び、’08年就農。’11年に牧場直営のジェラート屋「めぐり」をオープンさせ、地元からも広く愛されている。

前田朋宏(まえだともひろ)
‘77年生まれ。’55年創刊以来、時代を担う酪農家・酪農経営体のための専門誌として愛される月刊誌「デーリィ・ジャパン」の名物編集長。年間30~40ヶ所取材に回る。月刊誌「デーリィ・ジャパン」http://dairyjapan.com/

前田編集長が見た“若き日の石田陽一”の姿

僕と石田くんが初めて会ったのって、いつだったっけ?

僕が大学を卒業して1年間ニュージーランドに行って、それから帰ってきたのが、12年前、’08年の4月。その年の夏の中堅研修(日本酪農青年研究連盟・中堅会員研修会)でお会いしました。24歳で何も知らない頃です(笑)

そうか。若手でグイグイ質問してきて、すごいなと思ったんだよね。それから少し間が空いて、3年前にデーリィ・ジャパンの企画で一緒にカナダに行って。向こうで農家の視察をしたり、大学の先生に話を聞いたりしたんだよね。今ではいろんな人のSNSに石田くんが登場するし、いろんなところで名前も聞くし。誰からも受け入れられるし、情報を共有することに長けた人間接着剤のような…。酪農の業界を引っ張っていく若手として、石田くんの存在は大きいなといつも思っています。

 いやいやいや…ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね。

「利他の心」が導いた6次産業化によるみんなの笑顔

「めぐり」を作った時は、最初から地元の伊勢原市の果樹や野菜の農家さんと一緒にやっていくぞという思いで始めたの?

そうですね。‘11年の3月にオープンしたんですが、’08年に就農して、すぐに農協青年部という農家の後継者世代の部会でいろんな農家さんと知り合って、僕の世代は酪農が僕しかいなかったので、自然と他の耕種農家の若手と繋がっていったんです。

6次化にあたり“ジェラート”を選んだのには理由があった

結婚したのが’10年の12月なんですが、嫁が農業高校で食品加工を学んでいたので、農家の長男の嫁として子育てしながら家を手伝うというより、自分の得意なことを活かせたほうがお互いに楽しいんじゃないかなということで、結婚したら加工をしようということはふたりで決めていました。

普通なら石田牧場が6次産業化するとなったら、「石田牧場」という名前を出すと思うんですが、僕としては自分だけが頭ひとつ出るのではつまらないなと思って、もちろん自分も成功したいですが、周りの仲間も一緒になって良くなりたいというのが「めぐり」のコンセプトにありました。

チーズやヨーグルトやソフトクリームなら、牧場だけで完結してしまいますが、ジェラートだったら、牛乳と同時にいろんな素材が必要になるんですよね。

GW時期は高梨くんのお茶、夏は塩川さんのブドウ…仲間の顔を思い浮かべていくと1年が回った

頭の中で、ゴールデンウィーク時期は高梨くんがお茶を作ってるな、食べられるお花の加藤さんもいるなとか、お中元の時期なら熊沢さんのメロンだな、夏にかけては塩川さんが美味しい巨峰、ブドウ、梨を作ってるな、秋はカボチャ、サツマイモを細野さんが…と仲間の顔を思い浮かべていくと1年間が回るんです。

いろんな農家さんがいろんな種類の農産物を家族経営で作っているというのが神奈川県の農業の特徴というか…周りに住宅地があって一つひとつの農地が狭いから大規模化できないので、良い意味でも悪い意味でも「産地」になれないんですね。

だから逆にそこを売りにしたら面白いんじゃないかなと思いました。それに消費者の方にはまだまだ農業のイメージは遠いと思うので、若い農家さんが実は神奈川にもたくさんいて、神奈川の食を担っているんだよということも、知ってもらえるきっかけになれば素敵だなと思ったんです。

都心で酪農をする意味とは…?逆境こそ絶好のチャンスに変えていく

 都市型酪農だからこそ、そんな発想になったの? もし例えば石田牧場が栃木で牛を300頭飼っていたらそんな考えにはならなかったと思う?

それは思いますね。この考えになったのは、僕が大学を卒業してニュージーランドに1年行って、外から神奈川の酪農や農業を見ることができたことが一番大きくて。それまでは中学生くらいから親父の酪農を継ぎたいなと思って、農業高校に行って、北海道の大学に行って北海道すごいなぁ! と驚き、次にニュージーランドに行ったら北海道と比にならないくらいすごかったんです。

ニュージーランドの牧場を見て神奈川で酪農をする意味を見失った

僕が働いた牧場は2800頭の牛を放牧で飼っていて、それを13人で見ていました。だから一人当たり200頭以上ですよね。うちは40頭規模を家族4~5人で365日見ているので、コストの面では太刀打ちできません。
当時はまだTPPという言葉はなかったですが、こんな乳製品が日本に入ってきたら、うちは何もできないなと思って。でも、うちはこれ以上牛を増やすこともできないし、たとえ牛舎を大きくできても糞尿を処理することができないので、規模を拡大することはできない。住宅地なので牛の鳴き声や臭いの問題もあるし、堆肥を畑に散布する時に(トラックが)出入りする道路の土の残り方にまで気にしないといけません。

そこで神奈川で酪農をする意味って何なんだろう? と見えなくなってしまいました。

そうだよね。

都市型酪農の弱みが、発想の転換で圧倒的強みに変わった瞬間

その時気付いたのが、神奈川は人がたくさんいるから酪農がやりにくいと思っていたけど、逆に人がいるということは実はすごいことなんじゃないかなと。

ニュージーランドは国全体としても500万人弱しか人口がいないんです。北海道も全体で530万人くらい。でも神奈川って、この石田牧場から半径50kmの円を描くと東京まですっぽり入って、神奈川900万人、東京1300万=牧場の周りに2000万人がいることになります。

牛乳を飲んでくれるのは“人”なので、人がこれだけ近い、これってすごいなと思ったんです。

そこでもう一度自分が神奈川の酪農家として生まれた使命は何だろうと考えた時に、生産量を増やして供給することには限りがあるけれども、一人ひとりの人と繋がってそれを伝えていくことが自分の使命なんじゃないかなと思ました。

そこで、「酪農教育ファーム」も始めました。

▲石田牧場は‘08年に「酪農教育ファーム認定牧場」を取得し、近隣の教育機関と連携して年間1200人の子供たちの酪農体験を受け入れている。

神奈川を出ようとは考えなかったの? もっと条件の良い土地とかさ。

そう思う前に神奈川の強みに気付けたというのが大きかったですね。今は酪農をやる上でこれ以上良い場所はないと思っていますから(笑)。神奈川最高ですよ。これだけ人と近いなんて。北海道にいれば30年間で会える人と、自分は1年間で会えると思っています。

石田陽一は全国の酪農家と繋がって何を得ているのか?

石田くんの場合、農場HACCP(※1)も取って、JGAP(※2)も取るって、認証系統だけでもミーティングかなりあるでしょ? 他にも青壮年部とか、酪青研(日本酪農青年研究連盟)の活動などがあって、本当に時間がない中で、よく外の人と繋がっていられるな、といつも感心しているんです。

※1 農場HACCP:中央畜産
※2 JGAP:日本JGAP協会

日々の作業を営みながらも成長を求め続ける

北海道から九州の人まで繋がってるでしょ? 遠いじゃない、物理的な距離としても。なぜ、外の人と繋がろうと思うの?

 
うんうん、そうですね(笑)。一言で言うと、“成長したい”からですね。

自分の枠組みの中だけでやっていると思考が凝り固まってしまうので、いろんな人からの価値観をいただくことで、こういうやり方もあるんだなと思うことができます。だから常に新しい情報を自分の中にインプットしたいと思っています。

人との出会いは時に自分の甘さも教えてくれる

全国の酪農家さんとのつながりで、面白かったエピソードとかある?

カナダに行った時の鶴羽裕樹さんや獣医師の鳥羽雄一先生との出会いは大きかったですね。

繁殖に関する考え方でも、分娩後70日になったらこんなに危機感を持つんだ、みたいな。自分はまだまだ考えが浅かったので、ここまでこだわるべきことなんだなというのは、カナダに行っていなかったら気付けなかったかもしれないです。

 年代も近いから話しやすかったのかもしれないね。

考えの違い・スタイルの違いからも吸収していく柔軟さ

 他に具体的にはどんな人たちと繋がって、どんなことを得ているの?

例えば北海道江別市「Kalm角山」の川口谷 仁さんの搾乳ロボットを使って経営規模を拡大していくという価値観や考え方は、そのまま石田牧場にコピーすることはできないですが、だからこそ自分の強みが見えてくるという部分もあります。人から話を聞くことでそれが発見できるというのはありますね。

十勝のしんむら牧場の新村浩隆さんもすごくリスペクトしていて、個人的に会いに行って教えてもらったりしているんですが、規模を負わないで、自分たちのライフワークをブランドにしていくという考え方もあるんだなと思いました。

静岡の朝霧メイプルファームの丸山純さんは、たしか僕の1歳下くらいだったと思うんですが、職人的に牛を管理するというのではなく、組織をマネジメントしてファーム全体を伸ばしていくという考え方。これも僕がこの規模でやっていたのでは気付けなかった点だし、その考えを応用して、加工部門のメンバーとのかかわり方に活かしたりしています。

 みんなマネジメントの仕方とかをSNSでも上げたりしていて、顔が見えるな、という感じするよね。

突き動かすものは、“直感”。会いたい人にはすぐ会いに行く

 ちなみに“この人とつながろう”というのは、どうやって決めているの?

“直感”、ですね。「めぐり」を立ち上げようと思っていた頃、たまたま農業新聞に、さっきお話した高梨茶園の高梨くんが「手もみ茶」の全国選手権で入賞したって記事が出ていたことがあるんです。僕が当時24歳くらい、彼が21歳くらい。

すごい人がいるなと思って僕、そのまま秦野市農協に電話して、「今日の新聞に載っていた高梨さんって人に会いたいんですけど、連絡先を教えてください」って聞きました(笑)

もう、直感で“会いたい”と思えば北海道でもどこでも行きますね!

 そうなの!? すごいね(笑)

十勝の新村さんもそうですし、富良野の藤井牧場さんも農場HACCPを取る時に見に行きました。

 …積極的に人とつながっていく感じは、学生時代から?

そうですね。ニュージーランドに行ったきっかけもそうで、たまたま大学で3年の春休みにニュージーランドに4週間行ったファームステイ先が、30歳くらいの若いご夫婦だったんです。旦那さんが200頭規模の農場をひとりでやっていて、奥さんはその隣で450頭規模の農場のマネージャーをやっていて、夫婦で別々の農場を経営していて。

“すごいな、この人たちに付いて行きたい!”と思ったので、卒業後に今度は1年間行ったんです。人に興味があるんですよね、きっと。

【後編】では、「めぐり」のジェラートをいただきながらおふたりの「時間の使い方」や「影響を受けた本」、石田さんが見据える“成長の先”についてお聞きします。お楽しみに。

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