「酪農が苦手」をエネルギーにブランド牛を育てた夫婦。
この記事の登場人物
松本 尚志まつもと牧場
「北海道日高地方」と耳にすると、競走馬を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
実際に一帯を車で走ると、馬の牧場が連続します。
そんな中、ユニークなブランド牛の生産で最近注目を集めている畜産牧場があるとか。しかもそのオーナーは酪農が苦手で畜産を始めたという噂… 早速取材に伺うことにしました。
もくじ
跡を継ぐため、しぶしぶ故郷に。
ここは新ひだか町三石川上地区。近代的な牛舎と洋風の洒落た家屋をバックに笑顔で迎えてくれたのは牧場オーナーの松本尚志さんと奥様の照世さんです。
尚志さんは当牧場の3代目。
初代は水稲で先代は酪農、「実は肉牛をやり始めたのは自分の代からなんです」とのこと。
尚志さんが卒業したのは江別の農業系の高校。若い時分から跡を継がねば、という意識があったのでしょう。
「とはいうものの、卒業してもすぐには実家に戻らず、トラック運転手やガソリンスタンドで働きました。なんとか引き延ばそうと(笑)」
その屈託ない笑顔に引っ張られるように、照世さんもニッコリ。仲の良さが伝わってきます。そんな二人が出会ったのは尚志さん20歳、照世さん22歳の時。意気投合し間もなく結婚します。
「その後三人の子どもに恵まれました。僕は長男でもありましたし、23歳の時にそろそろ実家の牧場を継がねばと、しぶしぶ三石に戻ったんです」
搾乳をしないで済むためには…!?
尚志さんが〝しぶしぶ〟だったのにはこんな理由があります。
「実は自分は酪農の作業、中でも搾乳作業が大の苦手。どうしても慣れることができませんでした」
とはいっても3代続く牧場を手放す、という選択肢はありません。尚志さんは仕方なく父親の仕事を手伝います。
実家での仕事が始まったのは尚志さん23歳、照世さん25歳の時。当初はおとなしく酪農作業をサポートしていましたが、経験を重ねていくにつれ尚志さんは畜産に関心を持ち始めます。
「裏を返せばそのくらい酪農が苦手だったんでしょうね。またその当時は三石町や農協が肉牛生産に力を注ぎ始めた時代で、助成金も出していたんです。肉牛なら現在の土地面積でかなり頭数を飼育できるということもメリットでした」
20頭からの畜産チャレンジ開始
先代を説得しつつ最初の肉牛を手に入れたのは平成6年。
わずか20頭からのスタートでしたが、毎年数10頭ずつ飼育頭数を増やし、反対に乳牛の頭数を減らしながら、徐々に経営の柱を肉牛生産へと移行していきました。
「その間には父から経営移譲も受けました。経営者になった当時から、他の牧場とは違うことに挑戦したいという思いは抱いていた気がします」
平成15年、肉牛育頭数が約130頭に達した時点で酪農に終止符を打ち、肉牛生産一本に完全なるシフトチェンジします。
ここ照世からまつもと牧場の新たな挑戦がスタート。
その後、数々の試行錯誤や紆余曲折を経て、新たなブランド牛の誕生へとつながっていくのですが、この時点でそんな未来が待っているとは誰一人(尚志さんですら)思っていなかったのです。
(ブランド牛誕生秘話は「注目のブランド牛『こぶ黒』。その美味しさの秘密は〇〇を加えた餌にあり。」をご参照ください)
まつもと牧場
- 営業時間:ー
- TEL:0146-35-3253
- 定休日:ー
- アクセス:〒059-3354 北海道日高郡新ひだか町三石川上360