「牛さんのためのホテル」発想の転換で酪農を変革。第三者承継で若手に託す、未来へのバトン

この記事の登場人物
須藤 晃須藤牧場
群馬県の名峰、赤城山の麓に佇む須藤牧場。代表を務める須藤晃さんは優れた経営手腕と独創的な発想により牧場を盛り上げてきました。そして、その取り組みが内閣総理大臣賞を受賞するなど、酪農業界で注目を集める存在です。
晃さんは、地域のなかで持続可能な酪農の可能性を追求し、今、第三者承継という次のステップに向かっています。そこには、地域への愛と、次世代への想いが込められています。
// プロフィール

須藤 晃 須藤牧場
須藤牧場の代表。「牛さんのためのホテル」というユニークな発想で牧場を経営し、ICT活用や耕畜連携など、革新的な取り組みを推進。第63回農林水産祭において畜産部門で内閣総理大臣賞を受賞。現在は、次世代への第三者承継を進めながら地域に根ざした酪農の未来を見据えている
もくじ
酪農へのコンプレックスが「現代に合った理想的な牧場を目指す」という使命に

幼い頃から家業である牧場の仕事を手伝っていた晃さん。当時は酪農の「きつい、汚い、臭い」という3Kイメージに強いコンプレックスを抱いていたそうです。
晃さんは親元を離れたい一心で、北海道の酪農高校に進学。大学卒業後は酪農ヘルパーとして、9年間さまざまな牧場をサポートしながら、牛・働く人・地域、関わる全てにとって幸せな牧場の在り方とは何かを考えるようになりました。
いつしか晃さんは、父親が守ってきた須藤牧場を引き継ぎ、現代に合った理想的な牧場にするという使命感を抱くように。同時に「牧場を経営するなら酪農家として得られる知識だけでは限界がある」と、経営者のコミュニティや勉強会に参加するなど、2代目としての新たな挑戦を始めたのです。
病床で気付いた大切なこと「目指すのは牛にも人にも優しい牧場」

晃さんが牧場を引き継いでからの道のりは、試行錯誤の連続でした。特に苦労したのは、耕畜連携。近隣の稲作農家に協力を求め、飼料用の稲を作る取り組みを進めるなかで、多くの壁にぶつかったそうです。
当時、飼料用の稲はまだ普及しておらずノウハウや先行事例がなかったため、通常の食用米を作って与えたところ、牛の体には合わず次々に病気が発生。経営が思うようにいかず、従業員も一人、また一人と辞めてしまうという苦境に立たされてしまいました。こうした状況のなか、晃さんはストレスが原因で体調を崩し、手術と入院を余儀なくされたそうです。病床で晃さんは大切なことに気付いたと語ります。
「牛や働き手がストレスを感じていたのは、すべて経営者である自分自身のストレスが影響していたのだとわかったんです。見方を変えると、自分がハッピーでいられる牧場にすることが、牛や働き手、ひいては地域の方の幸せに繋がるのだと思うようになりました」

退院後、牧場の環境改善に乗り出した晃さん。牛舎に自身の好きなジャズを流したことで、牧場はこれまでとは異なるリラックスしたムードに。また、事務所を牛舎に併設し、においが気になる環境にあえて従業員が身を置くことで、徹底的な清掃と飼料の改良に取り組んだそうです。

そして、晃さんは牛にも人にも優しい牧場づくりを象徴するテーマとして、牧場は「牛さんのためのホテル」、牛は「お客様」、従業員は「お客様におもてなしをするホテルマン」と位置付け、より良い環境づくりを推し進めています。
若者に未来を託す「第三者承継」という新たな挑戦

晃さんの挑戦は、牧場経営の変革だけにとどまりません。須藤牧場を次の世代に残すべく、第三者承継という新たな道に向かって進んでいます。牧場の未来を託そうとしているのは、現在は須藤牧場の従業員として働いている熊川啓太さんと新井健人さんの2名です。
熊川さんは牧場長として、日々直向きに仕事に取り組んでいます。晃さんから事業承継の話を聞いた後、牧場経営の取り組みが第63回農林水産祭において畜産部門で内閣総理大臣賞を受賞したことで「気持ちが引き締まった」と熊川さんは話します。

熊川さん「最近は取材や視察でたくさんの方が牧場を訪れるようになりました。牧場が有名になるほどプレッシャーも大きくなりますが、同じだけやりがいも感じています」
新井さんは、高校生のときに新聞で須藤牧場の記事を読んだことがきっかけで晃さんと出会い、高校卒業後にデンマークで酪農を学んでから須藤牧場に就職しました。
新井さん「事業承継の話を聞いたとき、最初は迷いもありました。しかし、今では『牛を大切に育てたい』という晃さんの考え方に深く共感し、その意思を引き継ぐことが自分の使命だと思っています」

第三者承継にあたり、「彼らが自由に経営を進めていけるようにしたい」と晃さん。須藤牧場という名前にもこだわらないのだそう。そして、牧場経営から退いた後のプランを尋ねると、晃さんは「牧場で雇ってもらって堆肥の管理や飼料作るかもしれません。経営の責任がなくなるので、今よりも自由に酪農と関わっていけるのは楽しみでもあります」と笑顔で語りました。
世襲にこだわらず「牧場は地域みんなのもの」次世代の酪農家への期待

晃さんが須藤牧場を地元出身の2人の若者に引き継ぐ背景には、地域への強い想いがあります。以前から地域とのつながりを大切にしてきた晃さんは、その土地に親しみのある人材を育成し、受け継がせることで、地域に根ざした酪農を展開していきたいと考えているそうです。
「酪農は、一次産業、食育、人と動物の関わりなど、さまざまな視点で地域のなかで必要な仕事だと思います。だから地域の人と協力してこの産業を次の世代に残していきたい」と晃さんは語ります。そして、牧場経営を辞めてしまった農家から牛を引き継ぐなど、地域全体の酪農を盛り上げるための取り組みも積極的に行っています。
最後に、晃さんはこれからの地域の酪農経営における想いを次のように語りました。

「須藤牧場は父が残してくれた大切な財産ですが、世襲にはこだわりません。『須藤家の土地を守っていこう』と頑なに考えると、どこかで歪みが生まれ、牧場としての存続が難しくなる日が訪れるでしょう。私は牧場を『地域みんなのもの』と考えて、熱意溢れる2人に託すことにしました。若い2人の新しいアイデアで、酪農がもっとおもしろくなることを期待しています」