畜産に生きる人

馬追和牛を作っているのは自分たちだと社員全員が胸張って言えるブランドにしていきたい

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この記事の登場人物

森崎 睦博
長沼ファーム2代目代表
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北海道で黒毛和牛の一貫肥育に取り組む長沼ファームの2代目・森崎睦博さん。
スラッとした出で立ちで、穏やかな物腰の森崎さんからは、おしゃれなスマートさが漂います。思わず「音楽とかされているんですか?」と聞くと「昔はやってたけどね、今は全然。牛がすべて。車にも興味ないし、牛以外の楽しみと言えば週刊少年ジャンプで毎週「ONE PIECE」を読むくらいです」と笑顔。

// プロフィール

森崎 睦博 長沼ファーム2代目代表

1971年、北海道北広島市生まれ。5歳の頃から長沼町で育つ。高校卒業後、上京。97年、26歳で実家へ戻り、長沼ファームへ入社。2014年より当牧場の代表を務め、一貫肥育で、牛と人に思いを寄せた「馬追和牛」の生産に取り組む。農場HACCP、JGAP認証農場。

就農してからは、牛の奥深さを知り、一気に沼にハマった。

10代の頃は実家の長沼ファームを継ぐ気は一切なく、高校卒業後はすぐに東京へ出たという森崎さんですが、バイトをしながら暮らす生活を8年ほど続けたものの、「世の中そんなに甘くなく」、26歳で実家へ帰ることを決意。

お父様が長沼ファームを始めたのは1969年。長崎出身で、自衛官として北海道に暮らし、その後自動車学校の教官などの職を経て牧場を始めるに至ります。酪農王国の北海道で、当時価値を見出されていなかったホルスタインの雄の子牛をもらい受けてきて育て、道外の肥育農家へ売る、素牛農家の事業が始まりだったそうです。

「実家に戻る時は父親に土下座して。農場に入った以上は息子としては扱われませんし、「見て覚えろ」という時代でしたから従業員にもきつく当たられるし。最初は牛のことも全然わからないので、よく他の牧場さんに勉強させてもらいに行ってました。「子牛の勉強をしたいんですけど」って訪ねたら、「一番良い先生がお前のそばにいるだろ!」と言われました(笑)。それだけうちの父はすごかったんだと思います」

やがて素牛(もとうし)の一部を自社で肥育するようになり、交雑種も市場で買って育てるように。睦博さんが戻った3年後には同じく東京に出ていたお兄さんも戻り、安平分場を増設し、繁殖業もスタート。しかしお兄さんが急逝されたことで、その後二つの農場は森崎さんが見ていくこととなります。

「現場では本当に下っ端から始まって、“なんで俺、こんな大変な仕事やってるんだろう”とか思ったりしながらも牛のことを勉強していくうちに奥深さが見えてきて、牛の沼にハマっていきました。その頃入社してきた若いイケメンが、今の長沼本場の場長です。この人はもう完全に牛マニアです(笑)。そこから二人でいろんな話ができるようになって、だんだんと同じ考えを持つ人が集まってくるようになりました」

牛を幸せに育てたい、安心安全な肉を届けたいという思いから和牛の一貫肥育に舵を切った

「長沼ファームが大切にしてきた『牛を幸せに育てたい』『安心安全な肉を届けたい』という気持ちを追求していくと、種付けから行い、一貫肥育をするのが良いという考えに行きついたんです。そこで、2014年に僕が代表になってからは全頭和牛生産に切り替えることを見据えて舵を切りました」

2020年に控えた東京五輪では、JGAP認証農場が食材提供の基準とされたことで、長沼ファームも食材提供することを想定して準備を進め、2019年に農場HACCP、JGAP認証を取得し、独自ブランド「馬追和牛」の商標登録も取得しました。

「結局オリンピックへの提供はコロナ禍のため叶いませんでしたが、これらを取得したことで、農場のモチベーションが上がりました。長沼ファームが長年取り組んできた「安心安全」な飼養に、第三者機関からの客観的な評価を受けたことは、ブランドの背景にある物語の裏付けにもつながりました。取得が難しいという話をよく聞くんですが、僕たちの場合は、書類を作ってくれた事務員さんは大変だったと思いますが、現場は以前と変わりません。2年連続で是正措置を受けなかったことで、JGAP維持審査もスキップできるようになり、JGAP協会からは、「長沼ファームのマニュアルを参考にさせてください」と言われたりもしています」

「僕の中で『馬追和牛』のブランド化を考えるきっかけになったのは、怪我をしたりして、お肉になってもまともに値段がつかない牛を自家用に屠畜して、社員みんなで食べた時でした。実際に食べてみるとうちの肉って他所で食べるより全然旨いなと思って。この美味しさであれば、売り方によってはもっと売れるんじゃないかなと考えるようになりました。今はそうした肉が出ると社員にふるまうというのが長沼ファームの風習にもなって、年に1、2度、大きな袋でみんなに配っています。自分たちの育てている牛が旨ければ、みんなに広めてくれよという気持ちです」

現在は台湾と香港へ輸出も行い、中国への輸出が解禁された時のための中国市場へのチャンスを狙い、「馬追和牛」の商標登録は、日本・台湾・中国で取得。「中国での取得は難しく、漢字圏なので“和牛”がだめだとか何かに類似しているとか言われながら、どうにか1年半かけて取得しました。コンサル会社にも入ってもらっていますが、貿易処理などは基本、すべて自分たちで行なっています」

自他共に認める牛マニアで、牛に寄り添う姿勢は誰にも負けない。うちの社員は日本一。

「僕はうちの社員は、日本一すごい人たちだと思っているんです。動物に対する気持ちとか、寄り添う姿勢とか。牛の顔色を見てすぐに何かに気がつくし、みんな牛マニア。だからこの人たちが作っている牛を、胸張って「『馬追和牛を作ってるのは俺らだよ』と言えるぐらいのブランドにはしていきたいなと思っています。

僕たちの仕事は命をもらってごはんを食べさせてもらっていること。だからこそ彼らが生きている間にどれだけ幸せに育ててあげられるかというのが僕の考えです。そうやって幸せに育った牛たちこそ美味しい味につながっていくんじゃないのかなと思っているので、それを現場で実現してくれているうちの社員さんたちはすごいなと思っています」

肉の検品にも自ら足を運ぶ森崎さん。

「枝肉が見れるようになるまでには時間がかかりました。とにかく足を運んで、ひたすら見て勉強して。

見てきた肉のことを場長に報告して、どう肉を作っていくかを話します。ロース芯が小さかった場合であれば、早く脂がついて大きくならなかったということだから、哺育の段階から変えていかないといけないですし、肥育の前期で配合飼料を制限して筋肉を育てていくようにしようとか。

餌を変えてみたり、管理を変えてみたり、これをすればよくなるんじゃないかと思いつく限りのことを試して、毎回答え合わせをします。答えが出るのは40ヶ月後なんですけどね(笑)」

20年以上の付き合いだという長沼本場の木村場長とは良きパートナー。

「うちの場長も『てっぺん取るまではやめない』と言ってるので、自分が納得するところにいけるまでは続けるという気持ちなんだと思います。

「長沼ファームで育てている牛は本当に幸せだよね」「最高の成績出してるよね」と周りに評価されるような牧場にしていきたいですね」

// この人の職場

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