異業種からの就農 「造る」から「創る」へ。湯浅ファームの親子が紡ぐふくしま・会津牛
この記事の登場人物
湯浅 卓也株式会社 湯浅ファーム
個人事業主の永遠のテーマ、後継者問題。
どれだけ優れた技術を持っていても、継ぐ人間がいなければ、それまで培ったものは1代で絶えてしまいます。「きつい仕事」という認識の強い第1次産業は、特にこの問題が顕著。そのため、どのようにして次の世代につなげるのかが農業全体の大きな課題となっています。
福島県の「湯浅ファーム」も、そんな後継者問題を抱えていた農場のひとつ。湯浅ファームは、日本最高峰の和牛が揃う第17回全農肉牛枝肉共励会で名誉賞を受賞するなど同地方で最大規模の農場ですが、しばらくは後継者が見つからなかったといいます。
今から約10年前、そんな後継者問題に終止符を打ったのが、現在専務取締役である湯浅卓也さん。
湯浅家の娘さんとの結婚をきっかけに、建築というまったくの異業種から肥育農家の世界に入りました。
卓也さんは、どのような想いでこの世界に入る決意をしたのでしょうか?
「結婚したときは嫁の実家が畜産をやっていることすら知りませんでした(笑)」と語る卓也さんに、就農に至った経緯、若手農家としての想いについて詳しく伺いました。
もくじ
建設業から肥育農家へと転身
まずは、異業種から肥育農家へと転身した経緯について。
「お付き合いしていたときは、嫁の実家が農場をやっていることは知りませんでした。賞状とか牛のブロンズ像とかが飾ってあって、これは何だろうって思ってはいたんですが、結婚後に家に60頭くらいの牛がいることがわかって、しかもさまざまな賞を受けていることも知り、とても驚きましたね(笑)」
湯浅家が肥育農家をやっていることを知った後も、しばらくは建設業を続けていたという卓也さん。
そんな卓也さんが就農を考えはじめたのは、2人目のお子さまが生まれたとき。
「出張がとても多く、住み込みみたいな感じで働くので、家にいることがほとんどなかったんです。ひどいときは数ヶ月に1度しか家に帰れなくて、もっと子どもと一緒に過ごす時間がほしいと考えていました。2人目が生まれたときに転職を決意して、治さん(湯浅ファーム社長・湯浅治さん)に実家の肥育農家をやりたいと相談しました」
家族と過ごす時間を増やすため、肥育農家への転身を決意した卓也さん。
とはいえ、転職には他にも選択肢があったはず。まったく畑違いの肥育農家への転職に、迷いはなかったのでしょうか?
「いつかは自分が継ぐことになるだろうっていうのは、嫁の実家が農家をやっていると知ったときから考えていました。治さんの仕事を近くで見る機会もあって、肥育という仕事への興味もありましたし、迷いはほとんどありませんでしたね」
農場を営む家に入ったこと、家族と過ごす時間を増やすこと。
2つの要因がきっかけとなり、卓也さんは湯浅ファームの後継者となる決断を下しました。
生き物を扱うことの難しさと肥育のやりがい
今年で就農から12年目となる卓也さん。当初は、図面に従って忠実に組み立てていく建築の仕事と思いとおりにはいかない生き物を扱う仕事の違いに戸惑ったとのこと。
特に大変だったというのが「牛に対する観察力をつけること」。肥育農家は、牛の外形から健康状態を見極めますが、当初はそれがまったくわからなかったといいます。
「一度病気にかかってしまうと、治療が長引き思い通りの体型に育てることができません。だからこそ、病気を予防することが肥育農家にとってとても大切なことなんです。例えば、耳が垂れているとか鼻水が多いとか、体型の変化とか、牛の細かな状態を確認することで対処できるのですが、最初は何を観察すればよいかまったくわかりませんでした」
また、すぐに結果が出ないという肥育ならではの難しさにも頭を悩ませたとのこと。
「牛を出荷するまではおおよそ2年。それまでは、どのような肉になっているか確認することはできません。一番立派な体型の牛を出荷しても、割ってみると2等級だったなんてこともあります。血統、エサ、気候、飼育環境など、さまざまな条件が重なって肉質が決まるので、計算通りのものをつくり上げるのは簡単なことではないんです」
いい肉を作るためには、とにかく経験を積んで自分で答えを見つけ出していくしかないと卓也さん。失敗も多いものの、思い通りの枝肉を作り出せたときの喜びは、この仕事の最大のやりがいだといいます。大事に育て上げた牛に高値がついた際の達成感は、ほかでは味わえないものとのこと。
「肥育農家は、仔牛を出荷間際までいかに大きく育て、肉質の良い牛に育て上げるのが仕事です。生き物が相手なので、計画通りにはいかないことがほとんどですし、結果が出るまで時間がかかりますが、その分達成感は大きいです。今後も治さんに学びながら、よりより肉質を求めていきたいですね」
常に増頭を目指して。いずれは肥育一貫も視野に。
ふくしま・会津牛のブランド化や風評被害の払拭など、同地方の肥育をリードする湯浅ファーム。
その後継者となった卓也さんは、畜産の未来についてどう考えているのでしょうか?今後の展望について、そしてご自身の後継者についても伺いました。
「私が就農してからの12年あまりで、すでに会津地方で5~6軒の肥育農家がやめてしまいました。福島県には『牛友会』という肥育農家の後継者が集まって研修や勉強を行う会がありますが、県全体を合わせても20人程度しかいません。時代の流れもあって後継者も頭数も減ってきてはいます。ですが、湯浅ファームでは常に増頭を考えています。状況は厳しいですが、どんな時代であっても通用する農家になれるよう、立派な牛を育てていきたいですね」
また、現在は肥育が専門になっているものの、繁殖から肥育まで行う一貫体制を目指すと卓也さん。
卓也さんの挑戦はまだまだ始まったばかり。今後の湯浅ファームの発展が今から楽しみです。
親子三代で紡ぐふくしま・会津牛の魅力
実は、後継者に関してはすでに候補者がいると卓也さん。それは、現在高校1年生の卓也さんの長男。すでに農場に入り、治さん卓也さんに混じって牛の飼育を手伝っているとのこと。
「私や治さんから継いでほしいと言ったわけではなく、自分でやりたいと言い出したんです。私たちが楽しんで仕事をしているところとか、名誉な賞をとっているところ、たまにテレビにも出たりしているところなどを見ているから、自分も挑戦してみたいという気持ちになったんだと思います。私と息子と治さん、三代でこのまま進めていければと思っています」
会津地方の肥育農家で、すでに後継者が決まっているのは湯浅ファームを含めて2軒のみ。全体的に減少傾向にある同地方の肥育ですが、治さんが作り上げた湯浅ファームの技は、卓也さんそしてその息子へとしっかり受け継がれていきます。
親子三代で受け継ぐ湯浅ファームがある限り、「ふくしま・会津牛」というブランドは廃れることなく今後も発展していくではないでしょうか。
株式会社 湯浅ファーム
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- アクセス:〒 969-3539 福島県喜多方市塩川町源太屋敷字前畑1572番地