まもなく、南信州の山奥(ココ)にロックバンドが集います。「日本一の焼肉の街で開催される」“焼來肉ロックフェス”とは?
この記事の登場人物
今井 啓介焼來肉ロックフェス
2019年も暑い季節がやってきます。
日本の夏の風物詩と言えば「音楽フェス」!各地で開催される音楽フェスはコンセプトもさまざまです。
そんな数ある音楽フェスの中から、どっこいしょニッポンとして放っておくことのできないイベントを見つけてしまいました。
その名も「焼來肉ロックフェス」。
「焼肉」と「ロック」の音楽フェス……一体どんなものなのでしょうか?
7月の開催を目前に、開催地である長野県飯田市を訪ねました!
もくじ
焼肉と音楽で町おこし。焼來肉ロックフェスの実行委員の熱い想い
飯田市は長野県の南部に位置する人口約10万人の街。
そびえ立つ南アルプスと中央アルプス、南北に流れる天竜川など豊かな自然環境を有し、市田柿やりんご、梨などの果物を中心とする農業が盛んです。
2027年にはリニア中央新幹線の駅ができる予定。このところ移住したい街ランキングの上位で名前を見るようになり、ますます注目が高まっています。
東京から車を走らせること約3時間で市内に到着。中心部に行くと、街のランドマークであるJR飯田線の飯田駅の駅舎を発見しました。丸くて真っ赤な屋根がとってもキュートです。
しかし、駅周辺のこじんまりとした雰囲気からは、この街に数千人ものロック好きが集まるとはにわかに信じがたい……。そしてやっぱり気になるのは、なぜ「焼肉」?ということ。これは企画者に聞くしかない!ということで、焼來肉ロックフェス実行委員長の今井啓介さんにお話を伺うことに。
待ち合わせ場所はフェスの開催地である野底山森林公園。取材したこの日は6月の梅雨真っ只中だというのに、ジメジメを一切感じさせない心地よい陽気で、聞こえてくるのは木々のざわめきと鳥の声……最高の環境です。
フェス当日「GRAND STAGE」が設営される広大な草原を発見しました。今回のフェスのメインビジュアルと同じような画角で撮影してみるとこんな感じです。
左がメインビジュアル、右が設営前。
自然の豊かさと開放感、伝わるでしょうか?
そうこうしているうちに実行委員長の今井啓介さんが到着。「MOLLY STAGE」の舞台となるテラスでお話を伺いました。
――今井さんはなぜこのフェスを企画したのですか?
「発端は地元の経営者が集う懇親会でした。私も食品関係の材料や機器を扱う会社を経営していて、仲間たちと過疎化が進むこの街の地域活性について考えていたんです。そんな中、市の南信州畜産物ブランド推進協議会が「日本一の焼肉の街」という言葉を打ち出すようになり、これを使わない手はないと。『焼肉』をキーワードに、ギネス記録への挑戦や他県との対決企画など、色々と考えましたが、音楽好きな若い仲間から『飯田で大きなライブをやりたい』という提案があり、焼肉を絡めた音楽フェスの企画がスタートしました。」
――焼來肉ロックフェスの特徴は?
「なんといっても音楽と一緒に“飯田流の焼肉”を楽しめることですね。焼肉スペースは相席になっているので、知らないお客さん同士の交流も生まれます。出演アーティストはジャンルでいうとメロコア系が中心のラインナップ。裏コンセプトは『森のライブハウス』というイメージです。」
――焼肉とメロコア、相性抜群な気がします!フェスは今年で5年目ですよね。続ける中でこれまでに「壁」はありましたか?
「2年前、台風で泣く泣く中止したことがありました。あのときは辛かった。『俺たちのフェスは1回だけじゃない』という強い思いで、今後も継続するために、安全を第一に考えての判断でした。結果的には早めに中止の決断をしたことで『バスやホテルをキャンセルできて助かった』という声を多くいただき、信頼につながったと思います。また、フェスの予定日当日には、なんと出演するはずだったアーティストが8組も飯田に来てくれて、オーディエンスがいない中、私たちを励ますためだけに演奏してくれたんです。あの時の音は強烈なメッセージが込められていて、今でも忘れられません。」
――壁を乗り越えながらもフェスを続けてきて、何か地域活性の力になれたと実感できるようなことはありましたか?
「まだ5年目なので、文化が醸成されて効果が実感できるようになるのはもっと先だと思います。ただ、実行委員として手伝ってくれる若いスタッフの中で、『このフェスに関わることが私の生きがい』と、上京するのをやめて飯田に残ってくれた子がいました。関わる人は年々増え、フェス自体が『メイド・イン・南信州』の素晴らしいものに成長していると実感しています。」
マトンがメイン?黒モツ?出前焼肉?超独特な飯田流の焼肉とは
地域を盛り上げるためにゼロからフェスを企画し、数々の壁を乗り越えながら、仲間たちと共に成長してきた焼來肉ロックフェス。今井さんのお話から、関わる人の情熱を感じ、こちらも感激してしまいました。
しかし、今井さんの熱さに押されて、めちゃくちゃ肝心なキーワードを聞き逃していた……。
話の途中に出てきた「焼肉日本一の街」「飯田流の焼肉」という言葉。飯田と焼肉に一体どんな関係があるのでしょうか?それをよく知る方にお話を伺ってきました。
こちらの爽やかな男性は、林亮介さん。今井さんのお話の中にも登場した「南信州畜産物ブランド推進協議会」から推薦いただいた無類の焼肉好き。今は飯田市役所の職員でありながら、「焼肉研究会」の事務局を任されている飯田流焼肉の語り部です。林さんならきっとすべて教えてくれるはず!早速お話を伺っていきます。
――飯田はなぜ「焼肉日本一の街」なのでしょうか?
「飯田市は人口1万人当たりの焼肉店の店舗数が日本一の街なんです。焼肉店と精肉店を合わせると、市内で80店近くあるんですよ。飯田で生まれた人は子どもから大人まで、とにかくよく焼肉を食べます。」
――いつから飯田は「焼肉の街」なのですか?
「諸説ありますが、1つは山深い土地柄が影響していると考えられます。もともと狩猟の文化が根付いていて、タンパク源として動物が食されていました。それからもう1つ、話は戦時中に遡ります。当時の日本はロシアなど北の国を攻めるために、国策として羊を育て、羊毛で寒さにも耐えられる暖かな軍服を作っていました。飯田は県内でも特に多くの羊が飼育された場所。その中で、羊毛の役目を終えた羊の肉を食べるという文化が広まっていったと言われています。他にも、かつて飯田で発電所やダムの建設という大規模な工事が行われた際、朝鮮から来たたくさんの労働者が食肉の文化を持ち込んだという説や、満蒙開拓で飯田から多くの人が旧満州に行き、そこで肉を焼いて食べる文化に触れからという説など、いろいろありますが、それらの要因が複合的に絡み合って独自の焼肉文化になったのだと考えられます。」
――飯田の「独自の焼肉」って、一体どんなものですか?
「いくつか特徴があります。まずは、羊の肉『マトン』をよく食べるということ。先ほど話した歴史背景が影響しているのだと思います。焼肉屋さんでも精肉屋さんでもマトンを置いていない店はほぼないと思います。ちなみに、通常は仔羊の肉を『ラム』と呼び、成長した羊肉を『マトン』と呼びますが、飯田では呼び分けることなく、すべて『マトン』!。それに一般的には羊肉の焼肉を『ジンギスカン』と呼びますよね。飯田ではジンギスカンは羊肉に限らず『タレに漬け込んだ』肉のことを意味します。鶏肉を漬け込んだのは『トリジン』、豚肉を漬け込んだのは『ブタジン』などといい、商品化もされているんです。」
――本当にいろいろ独特ですね。カルチャーショックです!
「それに、モツもかなりいろいろな部位を食べます。最も特徴的なのが牛の『黒モツ』。
「名前の通り黒い見た目で、初めての人はだいたい驚きます(笑)。また、焼肉とは少し違いますが、馬のモツを使った『おたぐり』も地元のソウルフード。居酒屋さんのメニューにもありますし、スーパーでも売られています。」
▲こちらは飯田駅近くの居酒屋「味の三ツ輪」でいただいた「おたぐり」
――本当にいろんな種類と部位を食べるんですね。
「そうですね。なんといっても一番の特徴的は、焼肉を『よく食べる』ということ。もちろん家庭にもよりますが、だいたい週に一回は焼肉を食べている感覚です。近所の人が集まるときはだいたい焼肉。部活の打ち上げも焼肉。親戚の集まりも焼肉。さらに『出前焼肉』というものもあるんですよ。飯田にとっての焼肉は食文化であり、コミュニケーションツール。同じ鉄板で肉を焼いて食べることで人と人との絆が深まります。」
飯田流の焼肉が楽しめる!焼來肉ロックフェスに行こう!
林さんのお話から、歴史に裏付けられた飯田の焼肉文化を知ることができました。どうやら私たちが一般的にイメージする焼肉やBBQとはかなり違うようです。
そんな飯田流の焼肉と共に豪華アーティストのライブを堪能できる「焼來肉ロックフェス」。
今年は7月20日(土)開催です!
会場となる野底山森林公園では「GRAND STAGE」「MOLLY STAGE」「FOREST STAGE」という3つのステージで「MC含め30組のアーティスト&パフォーマー」が熱い演奏&パフォーマンスを披露。
フードエリアも充実し、「手ぶら焼肉チケット(2,000円)」で飯田ならではの『手ぶら焼肉』が楽しめます。
今年からは当日受付で、ステージ正面に陣取って、焼肉を食べながらライブを鑑賞できる場所、スペシャルシート(有料席)もできるとか。
チケットは公式ホームページから購入できるので、今年の夏は焼肉とロックでお腹と心を満たしてみてはいかがでしょうか?