「家族に適正な対価を払う」。 “和牛の神様”鎌田さんの経営哲学
この記事の登場人物
鎌田 秀利肉牛農家
宮崎県串間市で約260頭の和牛一貫経営を営む鎌田秀利さん。牛の立場になって丁寧に牛を育て上げる様子から、NHKの番組『プロフェッショナル』で “和牛の神様”として紹介されたことでも有名です。
しかし、その姿勢はあくまでも謙虚。「自分は周りの方に生かされている」「自分よりすごい農家さんはもっとたくさんいる」と。そして、飼っている牛について話すときは、敬意をこめて「牛さん」と呼びます。
どうやら神様といわれるゆえんは、牛の育て方だけでなく、鎌田さんの物事の考え方にも多くの理由があるようです。そんな鎌田さんに経営哲学や働き方についてお話を伺ってきました。
もくじ
異業種から学んだ経営哲学
鎌田さんは40歳の時に約1億円の融資を受けて独立しました。鎌田さんの経歴で異色なのは、独立前に勤めていた農場が建築業をメインに手掛ける会社だったこと。そう、和牛育成のノウハウを持った農業の法人ではなかったのです。
「建築業の社長にはいろんなところへ同行させてもらいました。直接経営の手ほどきを受けたわけではないのですが、仕事ぶりをそばで見ていたのは今の経営に生きています。30年くらい前の建築業がバリバリだった時代でしたが『建築業だけでやっていける時代は終わった』と同業者と話されとるわけですよ」
建築業だけでなく、不動産、ホテル、マンション、和牛の育成と手広く事業を行なっていた社長は、常に次の展開を考え続けているエネルギッシュな人物だったそう。その社長が牛を飼い始めて事業化したのは土地の取得がきっかけだったのだとか。
「市場での勝負の仕方が農家の感覚とは全然違っていましたね。ある日、午前中にたくさん牛さんを買って帰ろうとしたら急に相場が下がった。普通の牛飼いならもう買わないところを、社長はそこでさらに追加して買うんですよね。『なんぼいい牛さん作っても、売り方買い方で勝負しないとだめ』と教えられました。数字の計算が早い社長でした」
鎌田さんはここで600頭もの牛をほぼ一人で担当しました。自分の限界よりも高いハードルをいつも用意されて、そこを懸命にクリアしてきたからこそ独立するときも怖いもんがなかったと振り返ります。
家族にもしっかりと対価を払っていける産業に
独立した時に鎌田さんが決めていたことの一つ。それは手伝いをしてくれる家族に対しては、従業員としてしっかり給料を払おうということです。
「家族の農業を手伝っている方の中には、扶養の範囲内になるくらいの給料で働くことは珍しいことではありません。でも、一生懸命働いても自分の仕事に対する対価がしっかりないと寂しいですよね。うちの嫁さんには同世代の一般企業に勤める方に負けないくらいの給料を払っていると思います。それだけの仕事をしていますから。嫁さんにきちんと給料払っていける仕事としてこの産業を成り立たせなくてはという思いもあります。そうすれば牛飼いやりたい人はこれからもいっぱい出てくると思います」
利益が上がってから給料を増やすのではなく、最初からきちんと払う。そのために、逆算していくら利益を上げればいいのか考える。建築業の社長の元で働いた経験がここで生きています。
そして、共同経営者としてお互いものが言えることも大切だと鎌田さんは続けます。牛を売ったり、何かを購入したりするときは、必ず奥さんに相談しているそうです。
「けんか?そりゃもちろんありますよ。ただ、仕事のことではあまりけんかしない。周りからも『牛の事だけはけんかするな』と言われましたね。特に牛が死んだりしたときに『お前何しよっと』これだけは言ったらだめ。牛が死んだり、病気したりしたことに対して喜んでいるのは誰もおらんわけですから、お互いそういうことは責めたらいけないわけです」
子どもが生まれたばかりの頃は、ベビーベッドを牛舎に持ち込んで奥さんと共に働いたという。そうして額に汗を流し、第10回、11回全国和牛能力共進会では「花の7区」と評される総合評価郡で優等賞首席を、第10回では名誉賞である内閣総理大臣賞を獲得しました。
奥さんと2人で掴んだ答え。それは、「懸命に手を掛ければ、牛はそれに答えてくれる」ということでした。
牛を通して深まる家族の絆
仕事で一番楽しいのは、家で奥さん、子どもたちと牛の話で会話が盛り上がること。長男の大輝君はすでにショベルを自在に使いこなし、鎌田さんが足を怪我していた時は大きな助けになってくれたとか。
次男の翔伍君、三男の悠汰君。飼い始めたばかりの犬のラッキーを見せに来てくれました。
「わしは何の教育もできんけど、競りや全共の表彰式などいろんなところへ子どもを連れていきました。いろんなことを感じてくれているみたいです。自分よりずっと記憶力もいいし、『あの牛さんを売れば良かったね』という会話なんかもできる」
鎌田さんが運転するショベルの横に乗って作業を見学することも。
次男の翔伍君は「自分もチャンピオンをとる牛を育てる!」と一時期話していたそうです。
「涙ですよ。そういうのを感じてくれているだけでうれしいです。今はマグロつりの漁師になるって言っていますけどね(笑)」
鎌田さんの仕事に向き合う姿勢は、そばで背中を見てきた息子さんたちの目にも魅力的に映っているようでした。