畜産に生きる人

酪農の魅力を自慢し続けることが僕の使命

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この記事の登場人物

松下 寛
松下牧場
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仕事を選ぶことは、その人自身の生き方を選ぶこと。

特に家業がある場合、先代の生き方を引き継ぐか、自分で新しい道に進むか、後継者はさまざまなジレンマを抱えるものです。

松下牧場の3代目、寛さんは一度牧場を離れ、東京で営業マンとして忙しい日々を送っていました。異職種の経験を経て気付いたのは、初代の祖父が開拓した豊かな土地の魅力と、酪農という仕事の素晴らしさでした。

// プロフィール

松下 寛 松下牧場 代表取締役

1980年生まれ。静岡県富士宮市の朝霧高原で搾乳牛約60頭と育成牛約40頭を飼育する松下牧場の3代目。大学を卒業後は東京の証券会社に就職。26歳で静岡に戻って牧場を継ぎ、新たな技術導入による作業省力化や教育酪農ファームとしての取り組みに力を入れている。

“3K”を間近に見てきた幼少期。早くこの場所から出たかった

一面に広がる牧草地に、約100頭を飼育する牛舎、ひなたで寝そべる猫。そして目の前には雄大な富士山。

観光客なら誰もが写真を撮りたくなる絶景ですが、ここで育った人にとってはこれが日常。寛さんが子どもの頃に感じていたのは、むしろマイナスのイメージだったようです。

寛さん「父や母は毎日朝早くから夜遅くまで牧場で働いていて、土日や祝日も関係ありませんでした。大変そうだし、牛舎は汚いし、臭いし…悪いところばかりが目についていましたね。
将来自分も牧場で働きたいという気持ちは全くなく、父も継いで欲しいとは一度も言いませんでした。僕の気持ちに気付いていたんだと思います。早くこの場所から出たいと思っていました」

牛から離れ、東京でバリバリ働く証券マンに

寛さんは地元の高校を卒業後、神奈川の大学に進み、新卒で大手証券会社に入社。東京で営業職として活躍していました。

オフィスに出社してパソコンを開き、為替市場の動向を確認するのが毎日の日課。日中は電話や対面で営業活動に励み、家に帰るのは21時過ぎ。ノルマも課せられるなか競争は激しく、理想と現実のギャップに苦しんだと、寛さんは当時を振り返ります。

寛さん「給料は良かったので、生活は何不自由はなく東京で華やかな暮らしを送っていました。でも、忙しい毎日に追われながら、いつもプレッシャーと虚無感を抱いている自分がいて…。変わらない仕事のルーティンのなか、自分自身を見つめる時間や余裕もなく、そんな人生に疑問を感じ始めました」

苦悩する寛さんは、神奈川の大学や就職後の東京で出会った人から言われたある言葉を思い出します。

寛さん「知り合いと地元の話題になって、酪農のことを話すと、みんな『羨ましい』って言うんですよ。思いがけない言葉にビックリしました。憧れられる仕事だとは一度も考えたことがなかったから」

東京という新天地で、自分とは違う景色を見てきた人たちと出会ったことで、家業を改めて見つめ直した寛さん。牛の品評会で手綱を引いたことや、毎朝牛舎の前を掃き掃除して学校に行っていたこと…子どもの頃の記憶が愛おしいものとしてよみがえり、営業の仕事を辞め、酪農を継ぐことを決意します。

寛さん「家に戻ることを父に相談すると、とても喜んでくれました。強要はしないけど内心は継いで欲しかったんだなと、父の優しさや懐の深さを感じました」

飼料の見直しや搾乳ロボットの導入。酪農をより良くするために、3代目の挑戦

26歳で静岡に戻り就農した寛さんは、1から酪農を学んでいきました。朝霧エリアは国内でも有数の酪農エリア。近隣の酪農家が主催するソフトボールチームに入り、スポーツで汗を流しながら先輩にノウハウを教わり、情報交換を重ねていきました。

一度地元を離れ、外から酪農を俯瞰した経験を武器に、寛さんはさまざまな改革を進めていきます。その取り組みのひとつが、飼料の見直しです。

寛さん「まず、子どもの頃に感じていた牛舎の『におい』を改善したいと考えました。一般的には糞が臭いのだと思われがちですが、それよりも根本的な原因は牛が食べる飼料にあります。
この地域では牧草で自給飼料を作っていますが、“朝霧”という地名の通り、年間を通して湿度が高いので、注意しないと飼料の発酵が進み、すえたにおいがしてしまいます。
飼料の作り方を見直すことでにおいは変わりました。むしろ、最近の飼料は牧草のロールを開けた瞬間、まるで果物のような甘い匂いがします。飼料の質が良くなったことで、においが改善されただけでなく、乳質も向上し、さらには従業員も働きやすくなるなど、良い影響がたくさんありました」

ロボットが自動で搾乳してくれる

また、松下牧場では従業員の作業負担を減らすために、今から9年前に搾乳ロボットも導入しました。これも、寛さん自身が子どものときに感じていた酪農の3Kを払拭するためのチャレンジのひとつ。先進的だった搾乳ロボットの導入は地域のなかでも注目を集め、シンポジウムでも講演をするなど、朝霧エリアの酪農の技術発展に一役買いました。

日本一憧れられる牧場を目指したい

就農してから17年が経った寛さんが今最も力を入れているのが「酪農教育ファーム認証牧場」としての酪農体験です。お父さんの代から始めた酪農体験は、充実した内容が評判となり、小中学校を中心に年間1万人が訪れるようになりました。

教育ファームとして年間多くの子どもや学生を受け入れている

寛さん「松下牧場の酪農体験では、何よりも牛と触れ合ってもらう時間を大切にしています。言葉で説明することもありますが、それよりも牛の大きさやにおい、お乳の触り心地や、作りたてのバターの美味しさなどを全身で感じてもらいたい。酪農家にとっての当たり前が、一般の人にとっては特別で、そこにこそ酪農の魅力があるはず。私自身が一度酪農を離れて実感したことです」

最後に、寛さんは今後の展望を次のように語ってくれました。

「祖父が残してくれたこの土地を活かして、ここでしかできないような牧場をやりたいです。例えば羊のショーをやってみるとか…アイデアはいろいろあります!自分自身が楽しみながら、日本一憧れられる牧場を目指したい。それが酪農業界全体の活性化や、観光地として地域を盛り上げることに繋がれば嬉しいです。これからも全力で酪農の仕事を自慢していきます!」

// この人の職場

松下牧場

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