「自分がおいしいと思える肉」をF1で実現。後藤牛を那須の地から全国へ届けたい
この記事の登場人物
後藤 寿一後藤ファーム
栃木県那須エリアで、交雑種(F1)を約30ヶ月長期肥育した後藤牛。その味わい、柔らかさはシェフや消費者を唸らせます。
牧場を襲ったさまざまな災害を乗り越え、地域ブランドに頼らず、味で勝負をかける肉の匠・後藤ファーム代表の後藤寿一さんに、ブランドにかける思いをお聞きしました。
// プロフィール
後藤 寿一 後藤ファーム 代表取締役社長
栃木県那須町でF1を育てる肥育農家・後藤ファームの2代目。自社ブランド「後藤牛」は、凝縮した赤身の旨さとさっぱりとした脂のバランスが料理人たちに人気。消費者から「肉ってこんなにうまかったのか!」と驚きの声が上がることもあるという。
もくじ
後継者として消費者に求められる肉の味を外の世界から学び、家業の肥育農家へ
実家を継ぐつもりで、高校を卒業して、他業種を知るために群馬県にある全国食肉学校へ入学。日本で唯一の1年制の食肉の学校で、全寮制で生活も厳しく、朝の始まりは全員揃っての点呼から。そこで切断や骨抜きなどの解体から歩留まり計算、調理、ハムやウインナーなどの加工品製造まで、牛・豚・鶏の一通りの基本の実技を学びました。
その後、飛騨牛の産地、岐阜県養老地区の精肉店へ就職し、肉の目利きなどを覚えたという寿一さん。「ここでは本当によくしてもらって、北海道から九州まで、名の知れた店に実際に食べに行く経験もさせてもらったんだけど、自分はおいしいと思えなかったんです。たとえ柔らかくて脂がとけようとも、1切れ食べたらもういいかなと思うような肉はおいしい肉とは言えないなと思いました」
当時は今より一層、地域ブランドの名前で肉が売れた時代。「本当においしいものを作ろうとするとコストも手間もかかる。味の如何にかかわらずブランド名で売れるなら、そうしたコストはかけなくなります。おそらく商売としてはそっちの方が正解なんでしょうね。でもやっぱり本当に旨いものを食べたいというお客さんもいるから、それなら自分で作るしかねぇだろうというところで実家に戻りました」
那須水害で牛舎はすべて流され全滅。生産者としての第一歩は農場の立て直しからスタート
寿一さんが実家の栃木県へ戻る頃、後藤ファームを那須水害が襲います(1998年)。記録的な豪雨が続き、牧場の牛舎1棟が牛ごと流され、住宅・車・重機・トラックもすべて被害に遭いました。現在のように自然災害を保証する保険がなかったことから、それらすべてが自己負担となりました。国からのお見舞金はごくごく僅かだったといいます。
そこからの再起だったため、日々懸命に働いても一向に利益が出ない状態。さらに2001年には日本でBSE感染牛が確認され、牛や牛肉が大暴落。続いて2010年に発生した口蹄疫による風評被害、2011年東日本大震災後の風評被害の影響を受けました。「東京市場では、栃木・茨城・福島・群馬の牛はお客さんに売れないから一切買えないと言われました。他のエリアで買ってもらえるようにはなりましたが、子牛を買った値段かと思うくらい安いもので…。何かあるたびに市場は影響を受けるんです」
2018年、寿一さんはお父様から後藤ファームを引き継ぎ、「後藤牛」の商標登録を行い、六次化もスタートさせました。「厳しい状況だから何もしないでおこうという人も多いけど、僕は逆だと思ってます。大変な時だからこそ、何かしなければそのまま終わってしまう。
良くなるまで待っていたら、待ってる間に潰れちゃうから。もちろん何が正解かはわからないけど、自分は少しでもアクションを起こしていきたい。そのためにもこの後藤牛を一人でも多くの人に知ってもらいたい。味には自信があるんだから」
牛づくりのプロでありながら、肉の目利き。二刀流で勝負をかける「後藤牛」
「後藤牛ステーキ丼」が看板メニューである地元・那須の人気店「レストラン西欧」がTVで取り上げられるや、後藤牛の噂は瞬く間に広がり、後藤牛ステーキ丼を目当てに訪れる観光客も急増しました。六次化のハンバーグなどは地元の精肉店や加工会社と組んで商品開発を進めています。「現場もやりつつ全部は無理なので、地元の方々と一緒に地域活性化していけるのがいいんじゃないかなと思っています」と寿一さん。
東京・立川にある「SORANO HOTEL」の「DAICHINO RESTAURANT」でも後藤牛のメニューが人気。こちらは以前のシェフがとても気に入り、それ以来、後藤牛の生産の背景にある物語も一緒に、お客さんに紹介してくださっているようです。
「レストランやホテルに卸す肉は、僕が枝肉を自分の目で検品し、お店のメニューや特徴を考えて、どの牛のどの部位をどこに、これはどこに、とすべて確かめて出荷しています。そこまでしないと料理人さんの信用を得ることはできないと思っています。これは精肉店で詰んだ経験が役立っていますね」
時には消費者から「とてもおいしかった」という手紙をもらうこともあるようで、「やっぱり生産者のやりがいはその声に尽きますよ。今ゆっくりだけどクチコミで後藤牛の名前が歩き始めたところ。「栃木県産の牛肉」ではなく、やはり「後藤牛」として全国の消費者の方に食べてもらいたい」とこの先の未来に目を向けておられます。
厳しい情勢が続く畜産業界。父の背中を追う息子への思いとは。
寿一さんの息子・徹平さんは現在高校3年生。どっこいしょニッポンが主催する、畜産を学ぶオンライン勉強会「農高アカデミー」にも1年生の頃から参加してきてくださった常連メンバー。徹平さんは畜産の道へ入ることに迷いがないようですが、お父さんとしての思いは…?
「僕は「牛屋の息子なんだから継げ」という気持ちは正直ないんです。本人が興味を持って意思を持って入りたいというのであれば別ですけど、甘い業界ではないので、よっぽど強い気持ちとどんな風にやっていくかというビジョンが固まっていなければ安易に飛び込めるような世界ではないと思います」
「これはうちだけじゃない、繁殖も肥育も、豚も鶏も家畜全般、米農家さんも野菜農家さんも、一次産業全般、作っても作っても赤字という状態ですから。普通にやっていくことすら難しくなって、長年一緒にやってきた仲間も廃業していく方がかなり多い状態です。
学生の間は何を言っても「すごいね、面白いね」と言ってもらえるけど、社会に出た時に自分の思いが全部伝わるわけではないですから。その時に必ず挫折があると思うんです。そこで上に行けるか、そこで終わるかというところだと思います。
もちろん、もし一緒に仕事できるようなことがあれば、僕の思いを託せるところもあるかもしれないし、面白いかなとは思いますけどね」