読みもの

頭の中は365日「牛」。繁殖和牛と闘牛を育てる「闘牛女子」の思い

この記事の登場人物

久高 幸枝
闘牛女子
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沖縄県うるま市で「闘牛女子」として沖縄の闘牛の発展に努める久高幸枝さん。
自宅の牛舎では、闘牛を飼育しながら、和牛の繁殖・飼養も行なっています。そんな幸枝さんは、「闘牛も和牛も関係なく、とにかく牛がたまらなく好き」と語る生粋の牛好き。幸枝さんの牛への愛情と想いをお聞きしました。

闘牛と和牛それぞれ違う愛情のかけ方がある

 
両親ともに牛飼いの家系に生まれ、「自分が何代目はわからないけど、少なくとも私のおじいちゃんのおじいちゃん(つまり5代前)は牛飼いだった。」と語る幸枝さん。
子どもの頃から繁殖牛と闘牛の飼育を手伝っていました。
闘牛の品種は、ルーツを辿ると昔から沖縄で農耕用に活躍していた筋肉質な牛。それに対して繁殖牛は食肉用に開発された和牛。
同じ牛とはいっても性質が異なるため、育て方も接し方も全く違うのだそうです。

繁殖牛は仔牛を出産すると生後8ヶ月ほどで私たち繁殖農家の手を離れ、その後肥育農家に育てられてから、3歳くらいで食肉になる運命です。たった3年間の命なので、うちにいる間はどんなワガママも聞いて、とことん可愛がってあげます。ハグでもなんでもするし、上に乗られたこともあります(笑)。

一方、闘牛は4~5歳でデビューし、それから十数歳までは大会に出るので、命の長さが全く違う。闘牛は手綱の使い方で私が主人であることを教え、しっかりと“しつけ”をします。それに、実は牛はデリケートです。牛は人間が無理戦わせているのではなく、“強いものだけが子孫を残せる”という本能で戦います。勝つと40分、50分戦っても尻尾フリフリで嬉しそうに帰りますが、負けた牛のアフターケアには時間がかかり、あからさまに食欲が落ちたりする牛もいます。でも戦う事が彼らの生き甲斐であり、それをサポートするのが私たち牛飼いです。

畜産牛が産業動物であるのに対して闘牛は家族のような存在。接し方は違うけど、どちらにも100%の愛情を注いでいます。

闘牛も和牛も関係ない。とにかく牛が好き!

子どもの頃から牛に囲まれて育った幸枝さん。
闘牛の魅力をより多くの人に伝えるため「闘牛女子」としてPR活動を展開しています。

エネルギッシュに展開する幸枝さんの原動力とは一体なんなのでしょうか?

尋ねたところ、驚くほどシンプルな答えが返ってきました。

「私は自分でもおかしいなと思うくらい、とにかく牛が好きなんです。闘牛に限ったことではありません。乳牛でも和牛でも、模型でもキーホルダーでもなんでもいいし、バッグや財布も全て牛革。牛にまつわるものがすべて愛おしいです。自分が子どもの頃、削蹄士の父が依頼先の牛小屋に行くとき、ついていくのが何よりも楽しみでした。県内だけでなく県外にも行くことがあったり。今も沖縄の闘牛に限らず、北海道や鹿児島、宮崎など、牛がいるところならどこにでも行きます。

牛は人と人とを結びつける、不思議な生き物

 
闘牛も和牛も関係なく、とにかく「牛が愛おしい」という生粋の牛好きの幸枝さん。幸枝さんは、牛は人と人とを結びつける不思議な生き物だと言います。

「牛を通して人同士のつながりが深くなることも少なくありません。実は私の両親も牛を通じて知り合ったんです。」

 
幸枝さんのお母さんの家で飼っていた牛の面倒をみていたのが幸枝さんのお父さんで、それがきっかけでおふたりは結婚したとのこと。
ふたりが結婚した後、ふたりを結んだ牛は徳之島に売られましたが、そこでもまた新しい縁が生まれました。

「その牛の引き取り先は血の繋がった家族でもないのに、もう40年以上の付き合いが続いているんです。今私が育てている闘牛『ハート』を送ってくれたのもその家族でした。」

人間が一人では生きていけないように、一頭の牛を育てるためにはとても多くの人が関わります。そして、それによって人間同士の関係も深まっていきます。

「牛が好き!」というまっすぐな思いを胸に、自分に正直に生きる久高さん。
その心の奥には、家族や、牛によって繋がった人たちとの思い出が今も色褪せずに輝いていました。

2016年より沖縄闘牛カレンダーを発行。5年目になる来年を最後にカレンダー作成を終了します。
皆さんの期待に応えられるような素敵な作品に仕上げますので是非、お楽しみに。
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