畜産を学ぶ

高校生が畜産のプロたちに質問!これからの畜産のことをみんなで考えた90分。

高校
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畜産に携わる若い世代が集う「全国和牛ハイスクールサミットinこばやし」。2日目の午後は、「畜産への夢をはぐくむキャリアデザイン」と題してパネルディスカッションが行われました。

会場は一般も含めて1,000人規模が参加する大盛況! 元農林水産省畜産部長の原田さんをコーディネーターに、農家やJA、農協、畜産を学ぶ高校生と、同じ畜産を軸にしつつもそれぞれ立場の違う5名のパネリストで意見が交わされました。

交わされた意見は、どれも皆さんの経験に裏打ちされた深いもの。現在畜産のキャリアについて考えている人だけでなく、畜産に携わっている人、引いては社会人全般にとって参考になる内容でした。今回はその中でも高校生から寄せられた質問とその回答をご紹介します。

■登壇者プロフィール

【コーディネーター】

 一般財団法人 畜産環境整備機構 副理事長
原田英男さん
東京都出身。元農林水産省畜産部長。現在は「宮崎こばやし熱中小学校」の校長としても活躍中。宮崎こばやし熱中小学校:
https://necchu-kobayashi.com/

【パネラー】

 鎌田畜産
鎌田秀利さん
宮崎県串間市で約260頭の和牛一貫経営を営む。第10回、11回全国和牛能力共進会に出品し「花の7区」と評される総合評価郡で優等賞首席を、第10回では名誉賞である内閣総理大臣賞を獲得。平成27年にNHK番組『プロフェッショナル仕事の流儀』で「和牛の神様」として紹介された。 

 田中畜産 代表
田中一馬さん
兵庫県三田市出身。兵庫県香美町の和牛「但馬牛(たじまうし)」の畜産農家として24歳のときに新規就農。子牛を生産して出荷する繁殖農家のほか、牛のひづめを削る削蹄師としての顔も持つ。https://tanatiku.com/

 JA宮崎経済連 畜産部肉用牛課 課長
押川雄三さん
宮崎県日向市出身。JA宮崎経済連企画広報室課長補佐として、経済連初の海外事務所設立に携わる。JA宮崎経済連香港事務所所長やJA宮崎経済連畜産部肉用牛課課長補を経て平成28年より現職。 

 こばやし農業協同組合 和牛生産課 技師
米倉桃子さん
兵庫県出身。平成28年、宮崎県立農業大学校畜産経営学科肉用牛コース卒業。同年、こばやし農業協同組合和牛生産課に入組。

 宮崎県立小林秀峰高等学校 農業科 3年
蕨内直人さん
宮崎県えびの市出身。平成29年4月、宮崎県立小林秀峰高校に入学。高校では和牛の生産技術や飼養管理について学習中。現在、農業クラブ畜産班に所属。

■高校生からの質問タイム

 皆さんに書いてもらった質問からいくつかピックアップして伺いたいと思います。

質問1:鎌田さんはNHKの番組で“和牛の神様”と紹介されていらっしゃいました。名前に対して責任や大きな期待がのしかかっているように感じますが、どうでしょうか?

 あれは私個人ではなく、あくまで「宮崎牛の代表」としてテレビに出させていただいたと考えていますので、あまり重いプレッシャーはないです。むしろ今日の講演の方がプレッシャーです(笑)

質問2:私の家では繁殖経営をしていますが、将来肥育も行って一貫経営にしたいと思っています。鎌田さんが思う一貫経営の大切さはどのような点ですか?

 一貫経営の中でどこに重きを置くかにもよりますが、やはり繁殖をいかにきれいに行うかは大切です。子牛を買うのと違い、一貫経営では生まれてきたものにすべて責任を負わなくてはいけません。虚弱に生まれた子牛でも30カ月付き合うことになります。ですからやはり、きれいに繁殖をさせて、その上でしっかり30カ月育てる。肥育って難しいように思われますが、基盤の子牛がしっかりしていれば、あとは子牛の能力でぱーっと走ってくれると思います。

質問3:米倉さんは、なぜ宮崎県小林市で働きたいと思ったのか教えてください。

 宮崎県の農業大学校在学時に、仲良くなった同級生たちが農家の後継ぎで。その子たちについて手伝いや競り市の加勢に行きました。その時、小林の人たちの人柄に惹かれてこちらで就職しようと決意しました。

質問4:男性に比べて、仕事上困ったことはありますか?

 力仕事があるので、体力が全然男性にはかなわなくて。だからこそ「こういう動きをしたら牛はこう曲がるんだな」とか、牛に対する接し方のコツを理解して工夫していきました。

 押川さんは、どんなところが大変でしょうか? 経済連という立場、農家さんの牛に関わる部分といろんな事業を回す部分があるかと思いますが。

 売るのが非常に大変だと感じております。和牛って高い品物ですよね。私が就職した頃、肉牛は軽トラック1台くらいの値段だったのが今は高級自動車くらいの値段になっています。じゃあそういう品物をいざ食べていただくときに、値段が値段なので。食べられる場面の作り方が時代と共に変わってきたと感じております。原価を取って経営を回し、しっかり販売していかないと。

質問5:新規就農されてどのような点が大変でしたか? 但馬牛の資金はどうされたのですか?

 大変だったことはまさにその資金繰りです。就農したのが大学卒業後2年目だったのでお金もないですし、借りることもできませんでした。資金繰りに関しては、状況は人それぞれなので同じことはできないという前提で聞いて欲しいのですが、僕の場合は牧場に住み込みの研修をしました。食費も家賃もかからなくて、お金はお小遣い程度だったんですけど。生活できる従業員の環境で、牧場の一部空いているスペースを借りて、そこから5頭の牛を100万円で導入しました。当然食べていけないので、そこの牧場で働きながら和牛ヘルパーというのを立ち上げて、近隣の農家さんに手伝いに行っていました。その後、アルバイトしようと動いた時期もあったのですが、「アルバイトをすると遠回りだ。やる気があるなら削蹄の世界に入れてやる」と今は亡き削蹄の親方に誘っていただきました。そして、削蹄師をして現金収入を得ながら経営を回していきました。資金繰りは、みんなそれぞれができることを探していくしかないですね。

質問6:私は牛を出荷するのがすごく嫌で、自分が育てた牛はあまり食べません。田中さんが自分の放牧経産牛を出荷するとき、どんな思いで出荷されているのですか?

 牛を飼っている方で牛肉を食べられないという方は意外と多いです。僕自身は慣れた部分もあるけど、今でも葛藤はあります。僕が屠畜に利用している食肉センターは一日に5~8頭位しか屠畜しない非常に小さなところで、手伝うと言ったら語弊があるのですが出荷しておしまいではなく、見ているようにしています。そして、「この日に肉にすると決めたのは僕だな」と屠畜するたびに思っています。人間って勝手なものでそう思った牛をいざ枝肉にして食べると、「おいしい!」と思っていて。でもなんでおいしいのかな、と考えた時に自分が育てた牛というひいき目は絶対にあります。これは本当に豊かなことだと思っているんですよ。ひいき目でおいしいと思える、それだけ牛と関われたことが。その思いを共有するのは無理だけど、少しでも感じてもらえたらと思ってSNSでも発信しています。

 田中さんのところでは、「敬産牛」は敬う牛と書く。普通の経産牛と違う。また田中さんのブログ等発信見てもらえたら。田中さんは奥さんも一緒に情報発信されていますよね。パートナーとしての奥さんへの思いを聞かせていただけますか?

 僕の奥さんは9歳年下で。結婚した当初はもっともっと規模拡大したい、前へ前への時期で、「こうするんだ」と従業員のように接してしまっていた部分が少なからずありました。そんな風にやっていると、僕の方が畜産の経験もあったので妻はなかなか反論できない状態で、しんどい思いもしていたと思うんですよ。ある日無理がたたって僕が身体を壊して寝込んでしまいました。その時に妻が一人でやってくれる状態が半年続いて、その時に考えを改めて。そこからは妻も言いたいことを言うようになって。最初からいい感じだったわけではなくて、試行錯誤していく中でようやくいい夫婦の形になってきたかなと今思っています。

■皆さんの高校時代は?

 高校時代の思い出を教えてください。蕨内さんはなぜ農大に行こうと思ったのか教えてください。

 皆様に言っていいのかわかりませんが、週末になるとそこらをバイクで走る生活でした。今になってみれば一番楽しかったですね。畜産目指そうと思ったのは、牛の世界に前向きでおおらかな雰囲気を感じたからです。高校生活はもう一度やってみたいなと思います。

 高校時代、牛は全然考えてなかったし、農業高校があることも知らなかったです。ただ、小さいころから動物が好きで「動物園の飼育係になりたいな」というのが高校の時の夢でした。その後、「動物に関わる仕事って飼育員以外に何があるんだろう」と調べたら、たまたま酪農学園大学を見つけて北海道へ行きました。そこで肉牛研究会に入り、学生だけで人工授精をして、哺育、育成、肥育、でお肉を屠畜場へもっていって精肉で買い戻して販売したりビーフシチューにしてイベントに販売したりしました。そんなことをクラブ活動で体験して「畜産って面白い」という思いに目覚めました。

 全く何も考えていませんでした。高校の時は数学、化学が面白くて理系に進学しようかと。動物好きだったので、獣医さんを考えましたがとてつもなく偏差値が高いので、私の身の丈で入れる農学部へ入りました。入ったら勉強せず遊びまわっていて、就職してはじめて牛に触った。皆さんがしっかりしていて驚いています。

 高校が農業高校で、私は肉用牛研究会に入っていました。私がいた時は2人だけで、牛の分娩、種付けをさせてもらって、高校時代は牛尽くし。高校で牛に出会わなかったら今の自分はないので充実した高校生活でした。

 農業大学校を志望したのは、大型の免許など畜産に必要な資格を取得できるのと、親に「農大を出ないと家を継がせない」と言われたからです。家を継ぎたかったので農大へ行こうと思いました。宮崎か鹿児島が候補でしたが、自分は宮崎で畜産経営をしたいので、地元の経営の仕方を学べる宮崎の農大に進むことにしました。

■これからの畜産業へ、メッセージ

 これからの畜産業の世界へエールを込めて発言をお願いします。

 自分が勤めていた建設業の方には、「何をするか、次は何をするか」と言われていました。とにかく行動しろということです。そして努力をすればいいと。皆さんに一番やっていただきたいのは、自分の夢に対して行動すること。考えているだけでは何も生まれません。まずは行動することが大切と皆さんに強くお伝えしたい。

 鎌田さんとまったくかぶってしまいました。不安に思っている方すごく多いと思う。実際SNSでもそういうメッセージをよくいただきます。でも、考えても仕方がないんですよ。僕は5頭からスタートした時に今の姿を想像していたわけではありません。40歳の時70頭になっていて、削蹄師として全国飛び回って、肉の販売をするなんて考えていませんでした。今の立ち位置から想像できることなんて今の立ち位置の範囲内でしかありません。一歩踏み出していくとまた全然違う場所が見えて、その繰り返しです。一生懸命やっていたら自分が思い描いていたよりももう一歩斜め上に飛べる。だから、自分のやりたいことへ行動し続けてほしいなと。

 わからない、っていうことは何しても同じことだと思います。私自身地元が好きで転勤したくない思いがあったのですが、香港で3年過ごすことになりました。畜産は、現在グローバル化する中で立ち位置がどこにあるかわからない世界ですが、第一次産業に関わることの意味が、北極星のように目指す方向性としてしっかりと見えればと思います。常々考えているのは高校時代に戻って、牛や語学を勉強したいです。勉強しなかったことをすごく後悔しております。情報はいろいろ取れる時代なので、いろんな手段で吸収していただければ。そして、機会があれば宮崎JA経済連の試験をぜひ受けてください!

 宮崎に来てから、周りの人に助けられてきて感謝の気持ちでいっぱいです。これから皆さんもいろんな人に合うと思うのですが、それを自分の糧として自分の夢を築いていただけたら。頑張って欲しいです。

 自分は畜産農家になりたいと思っていて、今この会場にも同じ人がたくさんいることを知れて良かった。自分よりも強い思い、考え、決意を持っている方たくさんいると思うので、負けずに夢を叶えられるようにしていきたいと思います。

■さいごに

「畜産への夢をはぐくむキャリアデザイン」と題して行われたパネルディスカッション。「キャリアデザイン」はあくまでも現時点での指標。努力して一歩足を踏み出してみれば、また違ったキャリアの道が開けてくるのかもしれません。

一部画像提供:小林市役所