原野にロマンを感じ、九州から北海道へ。二代目に受け継がれた開拓の物語。
No.281
くらす
大阪から北海道新冠町へ移住して「シミズデイリーファーム」を営む清水さん。清水さんが来た当時は新規就農をする人への支援制度が無かったので、大変な苦労をされたといいます。奥さんとの運命的な出会いや、新冠町の魅力について語っていただきました。
「大阪では10年くらい美容師をやっていたんです。大きな店へ就職して店長になり、27歳で独立しました。最初は順調でしたが、大阪は美容室の激戦区。普通では負けるんじゃないかという気持ちが常にあり、エステやネイルサロンを入れるなどの投資をして、ヘアショーやファッションショーも手がけて名は売れましたが、目立つと怪しい話を持ちかける人も寄ってきます。いろいろな事が重なって、気づいた時には大赤字。29歳で全部手放して借金だけが残りました。」
「店を閉めて何カ月かは自暴自棄になりました。閉じこもって悩んで、これからどうしようっていう時、わずかな希望だったんですけど、子どもの頃の夢を思い出したんです。僕は子どもの頃から動物好きで、「北海道で牧場をやって動物に囲まれたい」と小学校の卒業文集に書いていたんです。ただ大阪の街中で育ったので、実現できるわけがないと諦めていました。」
ふとよみがえった幼い頃の夢。
バイク好きの清水さんは、学生の頃にツーリングをした経験から、北海道には旅人向けの畑仕事のアルバイトや、無料のキャンプ場があることを知っていました。
美容師のプライドを捨て、車に荷物を積み、一からやり直すつもりで北海道へ渡ったのが1998年の5月。牧場を探して北海道を周っていた7月のある日、人生のパートナーと運命的な出会いを果たします。
同じ頃、東京での仕事を辞めて人生の岐路に立っていた香理さんは、「この先の人生を今すぐに決めなくても、とりあえず今までやりたかった事をやってみよう」と思い立ち、小笠原諸島で野生のイルカと泳ぐ夢を叶えました。
そして突然「今すぐ北海道へ行かなきゃ」というインスピレーションを感じて……?
「北海道へ行って、初めて買ったマウンテンバイクで一人旅を始めました。富良野を目指してよろよろと旭川を走っていたら、ロードレース用の自転車に乗ったおじさんが心配して声をかけてくれたんです。家に泊めてくれて、ご夫婦で上富良野のキャンプ場まで送ってくれて、駐車したのが偶然、今の主人の車の横でした。おばさんは主人に紙コップを渡して「うちの娘が初めてキャンプをするので、よろしくお願いします」と言って、手作りのトマトジュースをついで……。」
そこで出会った旅人たちに「道東へ行かないともったいない」と言われた香理さんは、道東へ行く清水さんの車に同乗させてもらい意気投合。二週間で結婚を決めました。
当時は「移住して新規就農する」という前例が少なく、酪農が盛んな十勝や道東を周りながらも、キャンプ生活に戻ってしまった二人。
住所不定では別の仕事も見つからず、無職で家も借りられない中で、諦めかけた清水さんが思い出したのは、静内町(新冠町の隣町)に当時あった、バイク仲間に人気の食堂のこと。
東京から移住して食堂を営むマスターに、成功の秘訣を訊きに行ったのです。
「食堂に着いたらいきなりお母さんに「包丁で怪我したから代わりに皿洗いして!」と頼まれて、気づいたら二人ともエプロンして……。しばらく働いているうちに、「新冠や静内は空き家があれば隣近所が持ち主だから、直接貸してくださいって言うのがコツなんだよ」と教えてくれたので、二人で気に入った空き家を探して、持ち主の所に行ったら「良いよ~」って。家を見つけたので胸を張って静内町のハローワークへ行き、最初は土木作業で生活を支えました。」
「町の人から「なんで大阪から来たの?」と質問される度に、「将来的には牧場関係の仕事をしたい」と話していたら、運良く新冠町の酪農ヘルパー組合で欠員が出て「やりたい奴がいるぞ」と誰かが言ってくれたんですね。農協の臨時職員扱いでヘルパーとして4年間働きました。「すぐ逃げるだろう」って噂されたんですけど、未経験でも一生懸命続けていたら、今の牧場を離農する人が「清水に譲りたい」と言ってくれて。それでも未経験では無理だろうと反対する人もいましたけど、やる気だけはあったので、2003年に自分でこの牧場をスタートしました。」
チャンスを掴んだ清水さんでしたが、最初は牛を病気や分娩で泣く泣く死なせてしまうことが多く、獣医さんが心配して来てくれたり、地域の人にアドバイスをもらい、経営しながら酪農を学んでいったそうです。
放牧はコストと手間がかからず、仕事量は舎飼いの半分くらい。たくさん搾る農場と比べると乳量は減りますが、その分、牛が長生きするのに必要な栄養分を保っていられるため、清水さんの牧場には10産以上の牛もいるそうです。
「僕が思い描いていたのは、放牧でストレスが少ない牛の姿です。今は牛が幸せそうにしてくれているから理想に近い。もっと勉強して牛の幸せを考えたいです。ただ現実を話すと、最終的には命を頂くことになります。可愛いからずっと一緒にいたいんですけど、赤ちゃんが産めなくなったり、乳量が減ったりすると、出荷していかなければ経営が成り立たないので、最初は辛かったですね。それが当たり前の業界ですけど。」
▲こちらのツリーハウスは移住後に、清水さんご自身で作られたそうです。
「今は「新冠放牧の会」を作って代表をしています。今は10人くらいで勉強会や食事会をしています。新規就農したい方は大歓迎。PRになればと思って牧場のツイッターを始めたら、それを見て相談してくれた千葉県の人が、新冠町の臨時職員として3年間研修することになりました。効果があったので嬉しく思っています。後継者不足の問題で、数年前から新冠町でも新規就農の支援制度ができましたし、僕が移住してきた頃よりも随分始めやすい状況に変わりました。」
他にも「一度来て!観て!新冠」というイベントを開催するなど、新冠の魅力を北海道外の人にも伝えている清水さん。
そこには、これまで支えてくれた地域の人たちへの恩返しの気持ちがあり、新冠の酪農の素晴らしさを子どもたちや消費者へ広めるため、これからはもっと体験牧場の受け入れを行なっていきたいそうです。