お肉の解体現場も教育に。焼肉屋併設の食育保育園「さとのやま保育園」
No.340
くらす
※一層、理解が深まります。ぜひ<前編>からお読みください。
平成3年にスタートした牛肉の輸入自由化の煽りで、一人また一人と、短角牛の飼育を辞めていった襟裳の畜産農家。しかし、高橋ファームの高橋さんは『自然体の自分がやり続けたい仕事』として、短角牛の放牧を貫きました。と同時に、その飼育方法にも真正面から向き合うようになります。その根幹にあったのは、自然との共存共生という考え。
「牛たちがうまい草を求めて自由に歩き回れるよう放牧を基本としました。もちろん牧草は無農薬。冬も健康な土壌と微生物が育んだ、海のミネラルたっぷりの干し草を与えています。母子を離さないようにしてあげるのも、出産を自然交配にゆだねるのも、飼育のために尾を切ったりしないのも自然界から学んだことです」
「だって命をいただくのだから」と、高橋さんは言います。
巨大な流通の枠組みの中でないがしろにされがちな家畜動物の命。他の動物と何ら変わりのないその「かけがえのなさ」をいただくのであれば、自分のできること、自分のすべきことを全うしたい。過剰な飼料で無理に太らせたりしないのも、母子が寄り添う期間をできるだけ長くしてあげるのも、自ら運転するトラックで屠殺場へ連れて行くのも、果ては自身の目で命の終焉を見届けるのも、そんな考えからなのです。
こうした姿勢に共鳴する人が客となりオーダーも舞い込むように。いつしかオーガニック食の大手宅配会社も取引先となりました。
「おかげで、自分もおいしくいただけますよ」
しんみりしかけたインタビューの席に挟む絶妙なユーモア。そんなお茶目なところも高橋さんの魅力です。
短角牛へのこだわり。飲食店や宿泊施設のオープン。そこから芽生えたさまざまな外の人との交流。高橋さんの取り組みは小さな町であるが故に、周囲の目を引き続けてきました。
「自分はこの町ではずっと異端児。流れに逆らってばかりで、忠告やアドバイスにも耳を貸さないこともありました。でもなんとかやってこれた。それは支えてくれた人がいたからです」
決して一人でやってきたわけではありません。家族や仲間、子どもたちの親そして足を運んでくれた観光客の方々。一人ひとりの手助けや応援があったから今がある、と高橋さんは言います。夏の短い期間だけコンブ漁に取り組むのも、三世代続いてきた漁師の方々との絆を絶やしたくないという思いからなのです。
「だからこれからは返す番。郷土への恩返しが新しい使命だと思ってるんです」
実は高橋さんがこういう背景には、急速な過疎化に悩むえりも町の現状があります。すでに人口は最盛期の半分以下。限界集落という不名誉なレッテルもちらつき始めています。もう手をこまねいている時間はありません。
えりもの再生。そんな使命を抱く高橋さんの日々は実に多忙です。全国のスローフード仲間とのミーティング、町民を巻き込んでの地域おこし活動、小学校での食育の授業、地元高校生たちの畜産体験の開催等々。短角牛の飼育や漁の合間を縫って町内から全国までを奔走しています。
「確かに忙しいけど、手応えは感じています。えりものファンは確実に増えてるし、町民活動も本気度を増してる。牧場に来た学生の中には畜産の道に進むと宣言した高校生も。これは本当に嬉しいですよね」
奥様と運営しているファームイン。その壁には子どもたちの牧場体験記がいくつも貼り出されています。「高橋のおじさん、ありがとう」のかわいらしい文字も。それを嬉しそうに眺めながら、高橋さんはこう言います。
「こんなに素晴らしい自然があって、限りない資源があって、可能性にあふれる子どもたちもたくさんいる。限界なんかじゃない、えりもはまだまだこれからの町ですよ、何よりほら」
そして小さく胸を張り、「まだまだ老けない異端児もいるしさ!」