父の背中をみて決意。原田先生が志した獣医師という仕事 | どっこいしょニッポン

父の背中をみて決意。原田先生が志した獣医師という仕事

No.133

はたらく

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ペットから産業動物まで、幅広い種の動物を診療する磯動物病院で働く原田先生。

地元の長崎県島原市では、お父さんが産業動物の獣医師としてお祖父さんの後を継ぎ、65歳を迎えた今でも現役で牛、馬、豚の健康を支えています。原田先生はそんなお父さんの背中をみて育ち、子どもの頃から憧れを抱いていたそうです。

 

偉大な父に憧れて

牛を診察する原田先生

「私が獣医師になろうと思ったのは、高校三年の時です。それまでは小学生の時から野球をやっていたので、プロの選手になりたいと本気で考えたこともありましたが、現実的に進路を考えた時、自然と父と同じ道に進もうと決意しました。」

 

夢中で白球を追いかけていた幼い日の原田先生。その瞳にお父さんはどのように写っていたのでしょうか。幼少時代の思い出を聞いてみました。

幼少期の思い出を語る原田先生

「父と何かをしたという記憶は…ほとんどないんですよね。とにかく忙しい人で、毎日私たちが目覚める前に起きて仕事に行き、私たちが寝た後まで働いていました。夏休みなどで旅行に行く時も、上の姉2人と母と私の4人で出掛け、父は行かないのが当たり前でした。そんな感じだったので特別な思い出はありませんが、だからこそ、たまに一緒にお風呂に入ったり、コンビニに行ったりという些細なことがすごく楽しい記憶として残っています。関わる時間は少なかったですが、家族全員、父に支えられているという気持ちはいつも心の中にあって、私も大人になったらこうやって大切な人を守れるようになりたいと、尊敬していました。」

1年365日休みなく働いていたお父さんですが、一日だけ、たった一日だけ、仕事を休みにした日があったそうです。

お父さんとの思い出を語る原田先生

「父は私が東京で結婚式をした日、勤続三十数年の中で1日だけ休んだんですよ。地元で診療が終わってから飛行機で東京に来て、結婚式の翌日の朝には農場に戻っていました。」

牛舎に横たわる牛

お父さんがそこまで仕事に尽くす理由。それは、家族を支えるという親としての役割はもちろんのこと、地元の畜産の命を担う、獣医師の大きな責任と使命感によるものなのかもしれません。

 

未来の可能性を広げるため、小動物の獣医を経験

牛を診察する原田先生

牛舎の様子と牛たち"

産業動物の獣医師だったお父さんに憧れ、医科大学に進学した原田先生。しかし、大学卒業後は、産業動物ではなく、小動物の獣医師として東京の病院に就職します。その理由は一体なんだったのでしょう。

「私の実家は長崎県島原市にあるんですが、今から26年前に起こった雲仙普賢岳の噴火や、7年前に発生した宮崎県の大規模な口蹄疫など、農家さんが減っていく現実を身近なところで目の当たりにしてきました。それで、産業動物の診療技術だけを身につけることに危機感を覚え、『腰が軽いうちに、やりたいこととは違うことをやっておこう』という気持ちで、まずは小動物の獣医師の経験を積むことにしました。」

牛に注射をする原田先生

産業動物の獣医師になるという未来を見据えながら、小動物の獣医師として働いていた原田先生。長期的な目標を見据えた結果、あえて別の経験を積むという柔軟な発想は、医療業界だけでなく、きっとどんな仕事においても大切なことなのだと学びました。

そして、小動物の獣医師として働いていた原田先生はある日、知人を介して磯動物病院の磯日出夫医院長を紹介してもらうことになります。この出会いも偶然ではなく、明確なビジョンを頭に描く原田先生が引寄せた“必然”だったのかもしれません。

牛の様子を見る原田先生

 

 

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磯動物病院

http://www.vc-iso.co.jp/

  • 営業時間:平日:9:00~12:00   16:00~19:00
  • TEL:0287-65-1138
  • 定休日:祝祭日
  • アクセス:〒329-3152 栃木県那須塩原市島方451‐14

この記事を書いた人下條信吾

長野県信州安曇野出身・東京立川市在住のフリーライター。カメラマン・ミュージシャン・作詞家など、多方面で活動中。 牧場の匂いを嗅ぐと、祖父が豚と鶏を育てていた頃の、幼い日の記憶が蘇ります。 http://www.karali.info/

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